屋上



如月の冷たい風が容赦なく吹き上げる雑居ビルの屋上に、月を背にした白づくめの男の姿を認めた俺は、ペンキがはがれて少し錆びてしまった安っぽい風情の非常階段を一気に駆け上がった。

果たして、そこには無意味、としか言いようのない夜空に映える純白のマントをはためかせた男が、本当に不思議そうな顔でこちらを見つめていた。
そして俺が博士特製、改良型腕時計の照準をやつに向けてあわせると、にやり、と不敵な片笑みを浮べた。

「ひとつ聞きたい。なぜ、こんなところに・・・?」
「どっかのコスプレ探偵のくだんねーセリフぱくってんじゃねーよ」
「おやおや。今日の名探偵は、いつにも増してご機嫌がよろしくないようですね」
「―― っ、オメーのせいだろうが」

現在時刻、2月14日午後23時。

最近はさくさくと暗号を解いていた中森警部。今回に限って、日にちのは特定できたものの時刻のほうが最後まではっきりとわからなくて。最終手段だと俺のケイタイに連絡が入ったのは、授業が終わってすぐの微妙な時間。
よりにもよって、蘭からチョコレートを受け取った直後だった。
急かされるままに、蘭を後に残して立ち去った事が気にかかって。
素直に考えれば解けたはずの、普段ならものの数分で解けるはずの、そんな暗号に手こずったのは、少しでも早く、と言う気持ちがあったから。
そしてそのまま、あちらにこちらにと引きずり回され、結局、蘭にきちんとチョコレートのお礼を言うこともできず、現在に至っている。

盗む方は、いい。
事前に準備できるのだから。


「だいたい、パンドラはもういいんだろうが。なんで未だぬけぬけとキッド続けてんだよ」
「・・・生活に潤いとゆとりが欲しいから、かな?」
「キッドやっててゆとりあんのかよ、おかしいだろうが」

イライラしている俺を見て、くつくつと声も立てずに笑う姿が、また俺の怒りの炎に火を注ぐ。
でも、それがやつの手だ。
こうやって、俺を挑発してスキをつこうとしている、はず。
はらわたが煮えくり返りそうだったけれど、そんなことは努めて表に出さず、逆に奴のスキを突いて麻酔針を打ち込むべく、俺は逸る気持ちを抑えてゆっくり会話をつづけた。

「だいたいオメーこそいいのかよ。こんな日に仕事なんて入れて」
「・・・・・・こんな日?」
「彼女だよ。いいのか、放っておいて」

彼女――それは蘭に良く似た面差しを持つ奴の幼馴染。
まっすぐで人一倍正義感が強くてさみしがりやで。
こういうイベントが大好きで参る、なんて事を言っていたのではなかったろうか。

「ああ・・・チョコレートは昼間にいただきましたし、それに正確には彼女、ではありませんから」
「へ?」
「幼馴染ですよ、ただの」

奴の口からさらりとこぼれた「幼馴染」と言う単語が脳内を駆けずり回り、しかるべき位置に収まったときには、俺の努力の結晶、ポーカーフェイスは思いっきり崩れ落ちていた。

「ちょ、っと待てー!じゃあなんだ、あのラブラブエピソードは。ナンなんだよ一体!?」
「ラブラブー?」
「聞きたくもねーのに人ん家に押しかけてきて、くっちゃべってんだろーがよ。例えば・・・・・・」





「青子はほんっとにガキだよな」
「なによ!快斗だっていっしょでしょ!」
「俺は違うぜ。だいたい、17歳にもなって、キスのやり方も知らねーってのはどうなんだ?」
「そんなの知ってるに決まってんじゃない!こう、唇と唇を寄せ合わせて・・・」
「その先は」
「へ?その先って?」
「ホレ、見てみ?やっぱり知らねーじゃねーか」
「じゃあ快斗は知ってるって言うの!?」
「おう、当然だぜ」
「そ、そうなんだ・・・」
「ま、実際やった事はねーけどな」
「じゃあ青子といっしょじゃない。そんなの知ってるって言わないよ!」
「なんだ、じゃあオメー、いっちょ試してみるか?」
「へ?ちょ、ちょっと快斗」
「いいから、じっとしてろって」

そういうと、快斗は素早く青子の顎へと指を這わせ、顔を少し上向きにした後、ゆっくり唇を重ねた。
突然のことに動けずにいる青子の唇を舌で軽く開き、そのまま奥へと滑り込ませる。
そして、一度、ゆっくりと舌を絡ませた後、唇を離した。

「どうだ?」
「うーん・・・なんか、へんなかんじ」
「な、そういう感想を漏らすところがお子様だってんだよ」
「もー!なによー!!」





「―― とか、あの聞きたくもねーノロケ。あれは一体はなんなんだ!?」
「よぉっく考えてみ?そんな青子だぜ、付き合うなんてムリムリ」

すっかり素に戻ってしまった快斗は腹を抱え、ひーひーゲラゲラと笑っていたけれど、ひとしきり笑った後、至極まじめな顔でまっすぐに俺の瞳を見て、呪いの言葉を吐いた。

「あ、でも本妻は青子って決めてるから」
「オニかおめーは!とにかく、そういう事しててただの幼馴染ってのはおかしいんじゃないか!?」

少し声を荒げて反論した俺に、ほう、といやらしい笑みをよこして。
でも口調は快斗のままだった。

「それより、俺はオメーのほうがどうかと思うぜ」
「俺にはお前にそんな事を言われる心当たりはないが」
「なんで、まだ付き合ってねーんだ?」
「そ、それは・・・・・・」

今日、と言おうと思ったけれど、寸での所で押しとどめる。
そんなこと言おうものなら、ナニを言い返されるかわかったものではない。
ここぞとばかりにおもちゃにされるに決まっているのだ。

「蘭ちゃんがおめーのことスキなのわかってんだろ?ったく、元に戻ってからこっち、ナニやってんだよ、一体」

でもそれでも痛いところをつかれて怯んだ俺のスキをついて。
白い悪魔は夜の闇へと飛び去ってしまった。


2006/02/14


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