好き



「それではごきげんよう、親愛なる警視庁捜査2課の皆様・・・」

押し寄せる警官達を軽くあしらって、さっとマントをひるがえすと、そこにはすでに奴の姿はなく、美術館の樹木を彩るイルミネーションと追手を見下ろして、怪盗はふわりとビルの谷間に舞い上がった。

「まてーっ!キッドー!!追え、追え、逃すなー!!!」

中森警部の怒声が響くなか、白いハングライダーは、新宿の白い光の洪水にのみこまれて見えなくなってしまった。



あのキザな怪盗の正体を暴くため、俺はおっちゃんをダシに予告のあった美術館へ来ていた。
いつもなら、奴の逃走経路を予想して先回りし、真っ向から勝負を挑むのだが、今夜は博士の作ってくれた新兵器を使うことにしたため、宝石の保管されている展示室で奴を待った。

予告どおりに現れたキッドが、予想していただろうとはいえ、中森警部の人海戦術にひるんだ隙をねらって麻酔針で狙いを定める。

いつもなら、当然のように優雅によけられてしまうのだが、今回は、博士が対キッド用に特別に作ってくれた特別製の針が仕込んである。
麻酔針とは別に、発信機兼盗聴器になっている針も飛び出す仕組みで、しかも散弾仕様だ。

さすがのキッドもすべてをよけきることは出来なかったらしく、マントを翻しつつ警官を盾にしたので、とばっちりを受けた者たちが数名、ほにゃほにゃと倒れた。
心の中でだけゴメンとあやまって、中森警部に続いて屋外へと向かう。

麻酔針の方はすべて避けられていたようなので確率は低いが、発信機兼盗聴器針の方は麻酔針よりほんの少し遅れて射出される仕組みになっているので、うまくいっていれば、奴のアジトを突き止められるかもしれない。

回廊を走りながら、追跡メガネをオンにする。
光の点が動いてる!ビンゴだ!

光の点は、北西方面へと向かっている。

俺は、美術館の裏手にまわりこんでとめておいた自転車で追跡を始めた。
スケボーも持ってきてはいたが、どのくらいの距離を追跡することになるかわからないので、いざという時、バッテリ切れにならないよう、使わずにカゴに放り込む。

追跡範囲を大幅に拡大してあるので、都内一円であれば逃すことはないだろう。
ただ音の方は、電波の影響か、それほど広範囲ではひろえないようだ。
ザラザラという雑音に混じって聞こえたのは、小さなため息?
今日の仕事も大成功だったはず。
その後の奴のつぶやきは、雑音にまぎれて聞こえなかった。



光点は、思ったより近く、中野区、江古田のあたりで移動をとめた。
これなら、自転車でも1時間もかからずたどり着けそうだ。

一箇所をさして、明滅する追跡メガネの光点。
ここに確保不可能といわれた怪盗のアジトがあるのだろうか。

思わず、ペダルをこぐ足に力が入る。風を切って、夜の街をどんどん走る。
殺人事件のナゾを解く時とは違ったドキドキ感に気持ちがはやるのがわかる。


ふいに。

盗聴可能な範囲に入ったのか、雑音だらけだったイヤホンから、会話が聞こえてきた。
耳元で響く声の主は、もちろん彼の怪盗。



「いつものあなたならとっくにお休みになっている時間ではありませんか?そろそろ、日をまたごうかという時間ですよ」
「・・・キッド、どうして・・・お仕事の後は、来ないって」
「どうしても、あなたの花のような顔が見たくて、ね」


ハハハ・・・相変わらず気障なこといってやがる。
でも、仕事の後は来ないっていうことは、彼女はキッドの正体を知っている人物。
しかも、仕事とは関係ない、いわゆるコイビトというものなのだろうか。
プライベートを覗き見、いや、実際盗み聞きしているのだが、こういう展開は予想していなかったので、なんとなくバツが悪い。


「かい・・・」
「あおこ」

彼女の、息を呑む気配。

彼女の言葉をさえぎるようにささやかれた言葉は、驚くほどやさしくて、切なくて。
さっきまでの営業用とは全く違う声色に、ドキリとしてしまった自分に苦笑する。
そして、それに続く言葉は、ドキリを通り越してドッキリだった。



「・・・今宵は、この怪盗に抱かれていただけませんか?」

なっ・・・にーっ!
いつも女性に対して甘い言葉をならべたてているものの、うわべだけのキレイなものばかりだった。
こういう生々しいのが、しかも唐突に出てくるのはかなりショーゲキで・・・。


「なっ・・・」
「それとも。やはり私はお嫌いですか?あなたの大切な人たちを夜の闇に誘い、あなたに寂しい思いばかりさせて」


彼女も驚いたのだろう。
でも彼女の反論をさえぎる用につぶやいた声は、やっぱり営業用の声とは程遠く感じられて。
アイツは、いま、一体どんな表情で話しているのだろうか。

そこに、俺と同じような苦しみを感じてしまうのは気のせい?
親近感とはちがう、苦い感情。
あの怪盗のことが気になって仕方なかったのは、無意識のうちにそういうものを感じていたのか?

いつも余裕綽々で、人を小ばかにしたような、そして、盗みを心から楽しんでいるように思っていたキッド。
ほんとは、そうじゃなかったのか?
だったらなぜ・・・?



「す・・・き」
「・・・あおこ」
「すきだよ。だって、どっちも かい・・・ん・・・っ」

その先は、たぶん怪盗によって唇を塞がれてしまったのだろう、聞き取ることはできなかった。
聞こえるのは、甘い吐息と衣擦れの音だけ。


あおこ、という女性はキッドの恋人だとおもって間違いなさそうだ。
ここはキッドのアジトではなく、彼女の自宅なのだろう。


あおこ

どこかで聞いたようなことのある名前なのだが、記憶の引き出しから引っ張り出そうとしても、聞いてはいけない、と思いつつ耳元で繰り広げられる欲求不満な見た目は小学生、なかみは高校生には刺激が強すぎる内容に、ついつい意識が集中してしまう。

あおこ、あおこ、あおこ、あおこ、あお子、あお子、青・・・まさか。

ぐるぐると堂々巡りを繰り返していた頭にひらめいたのは、最もありえない人物だった。




それから、ずいぶんと時間が経ってしまった。

ようやく辿り着いた目的地、発信器の光点は目の前の何の変哲もないごく普通の一軒家をさしている。
他の家と同じく、明かりはすべて消され、夜の闇に静かにたたずんでいた。
俺の予想が正しければ、ここの主は今頃夜の街を迷走しているはず。
そして、もう一人の住人は・・・?

スピーカーからは、いつのまにか何の音も聞こえなくなっていた。
疑問には感じたが、それよりも表札を確認しようと、自転車を電柱の脇に止め近づくと・・・。


「子供がこんな時間にウロウロしてたらよくないんだからねっ!」

なっ!イヤホンからの突然の声に驚いてとっさに仰ぎ見たそこには・・・

「盗み聞きだけではなく、出歯亀なんてあまりいい趣味とはいえませんね、名探偵?」

庭木の上で、ひらひらと手をふる白い怪盗の姿があった。
その手には、月に照らされキラキラ光るビッグジュエル。

「お返ししますよ」

ニヤリ、満足そうな笑みを浮かべた怪盗は、今日の獲物のビッグジュエルとともに特製針を投げてよこした。


「お前・・・、気づいて・・・って、ずいぶんと悪趣味なんじゃーねーか?」
「子供が盗み聞きなんてする方が悪趣味なのではありませんか?」

お楽しみいただけましたか?そんなかんじで笑われたように見えて、なんとなくきまり悪く思っていただけに、頭に血が上るのがわかった。

「だーっっ、そうじゃねーだろ!だいたい、青子って中森警部の・・・」
「おやおや、名探偵は怪盗と刑事の娘のラブロマンスはお気に召しませんでしたか」
「オメー、まさか さっきのあれって・・・全部お前の一人芝居なのか?」
「・・・ご想像に、お任せしますよ」

そう言い残して、奴は再び空へと消えていった。



「あんの野郎・・・」

俺は、その場に立ち尽くしていた。

次、会った時は、ぜってー、コロス。

いかにしてあのムカつく怪盗を檻にぶち込むか考えていたらカラカラカラ、と窓の開く音がして、俺はわれに返った。

月に照らされ、月を眺めるのは、まだ幼さを残した少女。
さっきのアレは一人芝居だったとはいえ、なんとなく気恥ずかしくて、とっさに電柱の陰に隠れる。

・・・あの子?

パジャマの上にカーディガンを羽織ったその少女の横顔は、遠目とはいえ驚くほど蘭に似ていた。


「どうも、あの手の顔には弱くってね・・・」


怪盗がそういっていたのは何時だったか。
今夜のアレはほんとうに演技だったのだろうか?


「す・・・き」

そうつぶやいた彼女の

そして

「あおこ」

いとしそうに、大切そうに、そっと名前を呼んだ奴の。
許しを請うような口調に嘘や偽りは感じられなかったように思う。


結局、俺には知る由もないのだけれど。


KID

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