モノは使いよう



「それではごきげんよう、親愛なる警視庁捜査2課の皆様・・・」

押し寄せる警官達を軽くあしらって、さっとマントをひるがえす。
足下には、無数の警官達と、美術館の樹木を彩るイルミネーション。
怪盗はふわりとビルの谷間に舞い上がった。

「壮観、壮観っと♪」

「まてーっ!キッドー!!追え、追え、逃すなー!!!」

中森警部の怒声をBGMに、ハングライダーを北西へと向ける。
月光の下、廃墟のような新宿のビルの谷間をぬける、そのむこうに白い光の洪水が現れる瞬間が好きだった。

今夜の仕事は、あのちびっこ名探偵がいたわりには、あっけなく片付いた。
警官隊が雪崩をうって襲い掛かってきた時は、あまりの人数の多さと勢いにちょっとひるんでしまったけれども、うまい具合に名探偵が物騒な麻酔針をぶちかましてくれたおかげで押しつぶされることもなく、うまく表へ逃げ出すことができた。


ま、今夜ばかりはアイツに感謝しなくちゃいけねーんだろうけど、今回の麻酔針は、散弾になってたよな・・・。
まったく、毎度毎度物騒なモン用意していやがる。

ビル街の一角、高くもなく低くもないビルの屋上に降り立ち、あの日から習慣となった獲物の確認をする。

月にかざしたそれは、キラキラと翠に輝くばかり。

・・・またハズレ、か。
思わず漏れた小さなため息。
自分で選んだこととはいえ、一体いつになれば開放されるのだろうか。


「さーて、っと」

ぐるりと周囲に注意をむけても、人の気配は感じられなくて。

いつもなら、このへんで待ち伏せなどして、こちらをてこずらせてくれんだけれど・・・。

名探偵が現れないことを、ちょっと残念に思ってる自分に気づいて、苦笑がもれる。
仕事がスムーズにいくに越したことはないのに、物足りなく感じるなんて、な。


名探偵のことを考えてたら、なんだか無性に青子の顔が見たくなった。
最近気づいたのだけれど、あの二人は、よく似ているように思う。

負けず嫌いなところ、すぐムキきになるところ。そして悔しさを体全体で表すところ。
だからだろう、いつもかまいたくなってしまうのは。


翠に輝く宝石を胸のポケットにしまおうとした時、月の光にきらめく、宝石とはちがうきらめきに気づいた。

「んだこりゃ?」

襟元で輝く小さな針。それは小さな名探偵からのの贈り物らしく、よく見れば、ちいさいながらも発信機になっているようで、ご丁寧に超小型のマイクまで取り付けられていた。
こんな改良までしていたとは、しかしこれで今回の追跡の甘さにも合点がいく。


「やるねぇ・・・。でも、まだまだ、だな」


この場に捨ててしまおうか、いっそ、ノラ猫辺りにでもつけておくか、なんて思ったけれど、小さくなったハンディをものともせず、それを補うため――おそらくは、隣の家の博士が作っているのであろう――ビックリドッキリメカを駆使して挑んでくる。

恐れることを知らない、いつも自分が正しいと俺を射抜く瞳。

見た目は小学生とはいえ、なかみはあの工藤新一。
一度、手痛くやられたよなぁ、なんて思いだしていたら・・・イタズラ心に火がついた。





真っ暗な住宅街の一角。
はたして、目的の部屋の明かりは煌々とともっていた。

ハングライダーをたたみ、ふわりとベランダに降り立つ。
そっと中の様子を伺うと、青子は窓に背を向け、ベッドの上でクッションを抱えこんでなにか考え事をしているようであった。
音を立てないように窓を開け、気配を消して、そっと背後に忍び寄る。

部屋の明かりが消えていれば、当初の予定通り、発信機を適当なところに捨ててそのまま帰るつもりだった。
これは、名探偵に対するイタズラだと自分に言い聞かせてみても、イタズラにかこつけて自分のやろうとしていることを、果たして青子は受け入れてくれるのだろうか。

天下の怪盗キッドがたかが女子高生一人におびえてるなんて・・・。

今なら、間に合う。
この姿ではなく、黒羽快斗として声をかければ。
一瞬、そう思ったが、名探偵の盗聴器の存在が俺のこわれそうだった勇気を後押ししてくれた。

「いつものあなたならとっくにお休みになっている時間ではありませんか?そろそろ、日をまたごうかという時間ですよ」

背後からそっと抱きしめながらささやく。
抱きしめられた当人はほんとに予想していなかったのだろう。
驚きのあまり、一瞬固まって。
それから、俺のかりそめの名を呼んだ。

「・・・キッド、どうして・・・お仕事の後は、来ないって」

彼女の前では、キッドの姿では現れない。

それは警部の娘でありながら、俺を受け入れてくれた彼女との約束。
二人きりの時は、言わなくなったけれども、学校では相変わらず「キッドなんて!」と言ってはばからない、彼女からの唯一の願い。


「どうしても、あなたの花のような顔が見たくて、ね」
「かい・・・」
「あおこ」


約束をやぶった俺を責めるように、名前を呼ぼうとした彼女。
名探偵に、名前を知られるのがまずいという思いと、否定され、拒絶されることを恐れる思いから、さえぎるようにその名を呼ぶ。
その声は自分でもびっくりするほど優しいくて切ない響きを含んでいて、自分が快斗なのかキッドなのか一瞬わからなくなりそうだった。
壊れてしまうんじゃないかと思うくらい心臓がドキドキして、体が震えた。
ゆっくりと、もう一度彼女を抱きしめなおす。
俺は今、どんな顔をしてる?
頭の中が真っ白になって、口をついて出た言葉は無茶苦茶なセリフだった。


「・・・今宵は、この怪盗に抱かれていただけませんか?」
「なっ・・・」

彼女も、突然のことに驚いたのだろう。
いきなり夜に現れて、やらせろだなんて。

はじめて、と言うわけじゃない。
だがその相手はあくまで黒羽快斗であって、今夜の俺は彼女の天敵、怪盗キッドだ。


「それとも。やはり私はお嫌いですか?あなたの大切な人たちを夜の闇に誘い、あなたに寂しい思いばかりさせて」


一番聞きたかったこと。
聞くのが怖かったこと。


しばらくの沈黙の後、彼女の口からでてきたのは、俺が、一番欲しかったことば。


「す・・・き」

一瞬、聞き間違っているのではないかと思うほど小さく、つぶやく声。

「・・・あおこ」
「すきだよ。だって、どっちも かい・・・ん・・・っ」

押さえ切れない何かに突き動かされ、青子の唇をふさいだ。
そのままベッドへ押し倒す。
一瞬、頭の片隅に、ちいさな名探偵の顔が浮かんだが、もうそんなことはどうでもよかった。

彼女が愛しくて、壊してしまいそうだった。




いつもなら。

激しいのに、やさしいの。
青子のいやがることは、絶対しないのに。

今夜は。

やさしいのに容赦がない。
思わず漏れる吐息ですら、キスで掬い取られてしまう。

いつもとちがうのはあなたがキッドだから?
今夜はどうしてその姿で現れたの?

すき。

ほんとは、もうキッドのことだって嫌いじゃないの。
あの姿で快斗に出会ってしまう前から、なんとなくそうじゃないかって気づいてた。

お父さんを、快斗をわたしの元から連れて行ってしまう。
そう思うと、憎くて仕方ない時期もあったけど、私にとってはやっぱりどっちも快斗だから。

おふざけで怪盗を始めたのであれば、自慢げに話してきてたと思うの。
でも、月光に宝石をかざし、ため息をつくあなたを見てしまったから。
なにか事情があるんじゃないか、そんな風に感じてしまった。

だから、頑張っているお父さんを今までみたいに応援できなくって。

心の天秤の、どちらにもおもりをのせれることができなくて、今までどおりの私でいるために出した条件は、あなたをひどく傷つけていたのかもしれない。

その姿のあなたはとてもつらそうだけれど、青子はなにもしてあげられない。
待っていることしか出来ない。

まぶたに落とされるくちづけはとってもやさしくて。
夜の闇をまとって現れたのに、お日様のにおい、快斗のにおいがするよ・・・。




眠ってしまったのだろうか。
腕の中で動かなくなってしまった青子を起こさない様、そっとベッドからぬけだす。
そろそろ・・・あの名探偵がここを突き止めてきてもおかしくない頃合だ。

眠る青子にキスをひとつ。
こんなイタズラたくらんでたって知れたら許してもらえねーだろな・・・。
そもそも、ここまでやる気はなかったのだけれど。

ただ。

「やはり私はお嫌いですか?」

いつも聞きたくて、聞けなかったこと。


青子は、秘密を知った後も今までと変わらなかった。

詳しいことは話さなかったにもかかわらず、どうして今まで黙っていたのと責めらたり、だましていたのねと、ののしったり、どうしてそんなことしてるの、と詮索したり、そんなことを全くしなかった。

かわりに出されたたった一つの条件。

その意味をはかりかねて、言われるがままにしていたけど、俺のこと、キッドのことどう思っているか、いつも気にかかっていた。
こんなおふざけをダシにして聞いてしまったけれど、青子に対しての気持ちで、彼女に伝えた言葉にやましいところはなにひとつないと誓える。

「す・・・き」

きっと、いっぱいいっぱい考えて出してくれた答え。
それがわかったので申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
突然のことに、真剣に向き合ってくれた彼女が愛しかった。

彼女をいつまでもこの手に。
狙った獲物は必ず盗み出す怪盗が、いままで手に入れられなかった宝石。
手に入れられたことが夢ではないと確かめたくて。
自分が抑えきれず、なんどもなんども彼女を求めた。

このままもう少し彼女のぬくもりにまどろんでいたかったけれど、さっと身づくろいを整え、意識をキッドに切り替える。




さて・・・イタズラの相手はどんな顔をして現れるかな。


そっと外をうかがうと、ちょうど自転車でこちらへ向かってくるのが見えた。
街頭に白く照らされた顔が赤いのは自転車をこいできたせいだけじゃないよな?
そばの電柱の陰に、自転車をとめてこちらに歩いてくる。
表札を確認しようとしている所を見計らって、手に持った針に向かって、彼の愛しい幼なじみの声を作る。


「子供がこんな時間にウロウロしてたらよくないんだからねっ!」

よほど驚いたのか、ものすごい勢いで、こちらを仰ぎ見た彼と、目が合った。

「盗み聞きだけではなく、出歯亀なんてあまりいい趣味とはいえませんね、名探偵?」

俺は青子の家の庭木の上で、ひらひらと手をふってやった。
手にしたビッグジュエルが月の光を受けてキラキラ輝く。
このまま奴に渡せば、返しにいく手間が省けるってもんだ。

「お返ししますよ」

宝石といっしょに、もう必要もなくなった針も放り投げる。
こんな物騒なものはいつまでも持っておくもんじゃない。

「お前・・・、気づいて・・・って、ずいぶんと悪趣味なんじゃーねーか?」
「子供が盗み聞きなんてする方が悪趣味なのではありませんか?」

なかみは子供じゃないから、さぞかしお楽しみだったろう。
そう思った表情が顔に出てしまったのか、決まり悪そうだった。
顔が、モーレツに赤くなるのがわかった。
修行が足りないねぇ、名探偵。

「だーっっ、そうじゃねーだろ!だいたい、青子って中森警部の・・・」
「おやおや、名探偵は怪盗と刑事の娘のラブロマンスはお気に召しませんでしたか」

大袈裟にため息をつけば、ぎろりと小学生らしからぬ鋭い視線が飛んできた。

「オメー、まさか さっきのあれって全部お前の一人芝居なのか?」
「・・・ご想像に、お任せしますよ」

やられた!というその表情がおかしくて、真実を話す気になんて、なれなかった。
ほんとにからかいがいのある奴。

その場に呆然と立ち尽くす名探偵を残し、翼を広げて夜空へと翔上る。
いまごろ、どんなこと考えてるんだろうか。
きっと、まだ顔を真っ赤にして怒り狂っているに違いない。
名探偵には悪いが、くっくっくっともれる笑いはとめられなかった。



すぐに家に帰る気にはなれなくて、しばらくの間夜空を漂う。
思い出すのは、さっきの青子のことば。


「す・・・き」

そういってくれた青子。

どっちも、快斗だから。

キスで阻んだ言葉。
ちゃんと心に届いたから。
だから、俺は俺でいられるんだと。

俺だけの青い宝石は、壊しやしないと一人心に誓った。



コナン

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