「キッ、ド・・・?」

どんな姿をしていたってわかると思っていた、絶対に。
だから、その正体が誰であるのか、ほんとうに一目でわかった。
わかってしまった。
そして、それは疑惑が確信に変わった瞬間。


まだ予告の時間ではないし、そもそもここは予告の場所ではない。

夜目にも映える、真っ白ないつもの姿で青子の家のベランダに佇むキッドは、モノクル越しでどんな表情でいるのかよくわからなかったけれど。
ひどく悲しくて泣いているような、それでいてなんだか嬉しくて笑っているような、よくわからない表情をしていた。
窓を開けようとしたけれど、そっとガラスに添えられたキッドの手がそれを拒否しているように見えた。
強い力で押さえているわけではない、と思う。
それでも、添えられた手に触れればガラス越しにその体温だって感じられちゃうんじゃないかなんて思うくらいの、薄いガラス戸一枚を。

――どうしても開ける事ができなかった。

うすうす気付いていた。
二人の間に厳然として存在する、壊せない、壁の存在に。

たぶん快斗も青子が気付いているってわかっていたと思う。

でも、今までずっと、お互いに知らないふりして、気付かないふりを続けて、優しくて暖かい、そんな場所を守ってきたのに。


だから、わかってしまった。
お別れに、きたんだって。


泣かないようにとこらえていたけれど、込み上げ、溢れてしまいそうになる涙。
見られたくなかった。
最後の最後に、こうやってちゃんと自分のところへときてくれた快斗に、涙を見せたくなかった。
だから、ぺたりとその場に崩れ落ちるように座り込んで俯き、涙がこぼれていかないように、ぎゅっと瞳を閉じた。

額には冷たくて硬いガラスの感触。
それはいつもどおりの日常のその先にあった、そしてとうとう自分からは壊せなかった快斗との間にある壁と同じようで。

ぽたり。

閉じているはずの瞳から、大きな粒があふれてスカートに零れた、次の瞬間。
額に小さな熱を感じたような気がした。

驚いて顔を上げると、目の前いっぱいに片膝をついて屈みこんでいるキッドの顔。
そしてガラスに仄かに残る白い曇り。

そのまま、どちらからともなくガラス越しそっと唇を重ね合わせた。
それはそんなに長くない時間だったけれど、このままずっと永遠に続くんじゃないかと、続いて欲しいと願わずにはいられなかった。

ガラスから唇を離し、ゆっくり瞳を開けると、目の前のキッドは許しを請う小さな子供のような表情をしていた。
そして視線が重なると、ふいと俯き、小さな、聞こえるか聞こえないかくらいの声でつぶやくように言った。

「もしも――もしも再び貴女にお目にかかる事ができたなら。そのときには――そのすべらかな額に、やわらかな唇に。私の印を残させていただけませんか――」
「・・・もしも、じゃなくて。必ず、なら・・・いいよ」

キッドはちょっと驚いたような表情を浮かべてこちらを見つめた後、徐にモノクルを外すと、ちゃんと私の眼を見て、快斗の顔で、快斗の口調で。はっきりと私に告げた。

「約束、する」
「約束。破ったら許さない、んだから」

最後のほうは涙声になってしまった青子を安心させるように、お日様みたいないつもの笑顔で答えたあと、モノクルをつけてもう一度笑ったその顔は、怜悧な笑みを口許にだけ浮かべてたその姿は、もう青子のよく知っている顔ではなかった。

どうしようもなく滲んでしまった視界に残ったのは、白い、白い残像と約束だけだった。

2006/05/13


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