側にいさせて、抱きしめて



川べりを通る風は水のにおいを含んでいた。
ざあっと、大きく吹いた風、雲の流れが速くなる。

もうすぐ、雲が切れる。
すべては、この瞬間のため。

計画を立て、準備をする時のわくわく感も、それを実行に移している時の緊張感やスリルも、中森警部や白馬、名探偵や鈴木財閥のオヤジと追いかけっこをしているときの心躍るような高揚感も。
嫌いではない、むしろ歓迎するべきものなのに、この瞬間にはすべてが醒めてしまう。
ついさっきまでのこと、すべてがまるで夢のように、はかなく。

その想いは、薄らぐどころか、回数を重ねるごとに強くなってゆく。

俺は、本当はどうしたいんだろう――



雲の切れ間から、やわらかな月の光が漏れ、純白のマントが月の光を受けて、夜目にまばゆく、ひらめく。
月の光が、あたりを照らし始める。

ポケットから、今日の戦利品を取り出し、手のひらの上で転がす。
鈍く輝くそれは、審判の時を待っているようだ。
見つめても、回答は得られない。
求める答えを見出す方法は、唯一つだとわかっているのに、その瞬間を思うと、緊張で胸が潰れそうになる。
一瞬、息もできなくなるほど苦しくなる。


そう、それはいつものこと。
なのに、なぜか今夜は、石を月にかざすことができなくて、途中まで持ち上げた手をまた下ろしてしまった。

青い石を、こぶしの中握りこみ、ぎゅうと握りしめる。
壊れるわけもないそれは、拳のなか、固く、冷たく在る。

ふぅ、と大きく詰めていた息を吐き出したところで、後ろから声をかけられた。


「キッド」

快斗、と呼ばれたような気なってしまうほど、「おう」と、ついいつもの調子で返事しそうになるくらい、それは自然なもので、振り返らなくても誰かわかるくらい、耳になじんだ声。
誰よりも愛しくて、だからこそ誰よりもこの姿の時の自分を見られたくない、大切な幼馴染。
今日は、彼女の前でポーカーフェイスを保つことはできそうになかったから、振り返らずに問いかける。


「中森、警部のお嬢さんでしたよね?どうしたんですか、こんな時間に。女性が一人でこんなところにいるなんて、危険ですよ」
「ひとりじゃないよ、キッドがいるもの」
「わたし、ですか?これでも犯罪者、ですよ?」


俺の牽制なんて気にせず、ゆっくりと近づいてくる足音と気配。
でも、振り返ることが、まだできなくて。
青子は、俺のすぐ後ろまで来ると、足をとめた。

「手に持ってるの、今日盗んできたものだよね」
「ええ、もしかして警部に代わって、これを取り返しに来たのですか?」

青子はいま、どんな表情をしているのだろうか。
そもそも、なんの為にここにきたのか。

青子はすぐには俺の質問には答えなかったから、問いを重ねることも、振り返ることもできず、重苦しい沈黙が流れる。

先に口を開いたのは青子だった。

「・・・さっき」
「へ?」
「さっき、手、震えてたよ」
「・・・・・・っ」


さらに距離が縮まる気配。
驚いて思わず振り返った、その瞬間、俺の頬にそっと添えられた手のひらは、小さく柔らかく温かだった。

「ねぇ」
「・・・・・・・・・」
「どうしてそんな苦しそうな顔をしているの」
「・・・苦しそうな、顔、しているのですか?」
「うん・・・ねぇ、何をそんなに恐れているの?何におびえているの?」

そんなことは、と言おうとした瞬間、マントごと抱きしめられ、温かな手のひらが、宝石をもつ手に重ねられた。

「怖いなら、青子が一緒に確認してあげる」
「な・・・」

どうしてそれを、と思ったけれど、固く握りしめていたはずの指が、青子の柔らかな指でゆっくり1本ずつ解かれ、中の青い石に青子の手が重ねられる。
指をからめ、俺の指ごと石を包み込む、青子のてのひら。
背中にまわされた青子の腕に力が入る。

言葉はないけれど、青子の気持ちがまっすぐに伝わってきて、俺は思わずもう一方の手で強く青子を抱きしめた。

「ね、こわくないよ、大丈夫」


ふたりでゆっくりと月にかざしたそれの中に、赤い輝きは見えなかった。



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