Noctiluca
遠ざかるサイレンの音、赤い回転灯を見送り、ふうっと大きく息をつく。
張り詰めていた気持と体が緩んでゆく。
見上げた空は、どこまでも青く、高く、頬を撫でてゆく、ねっとりと湿った潮風も、ここは東京とは違うんだと感じられて心地よかった。
応接間に戻ると、ようやく目を覚ましたのか、お父さんがコキコキと首を鳴らしながら、椅子から立ちあがるところだった。
どこにいたのやら、推理ショーの間は姿の見えなかったコナン君も戻ってきていて、お父さんと何か話している。
「――おう。まぁなんだ、今回もなんだかよくわかんねーけど・・・とにかくバシっと解決したみてーだし、旅館に戻ってひとっ風呂浴びて、くいっと一杯・・・」
「もう、お父さんったら、いつもいつもそんなことばっかり」
「だってよぉ、こんな何もねーとこ、ほかに楽しみもないだろうが。海だって、汚くて泳げそーにもねーし」
「お父さん!失礼じゃない」
「んなこと言ったってなぁ・・・」
そう言ってたしなめたけれど、確かには依頼がなければ、わざわざ来るような場所でないのは確かだった。
今いるここは、山の中の一軒家で、旅館のある海沿いの方まで戻ったところで、娯楽施設があるわけではない。
窓から遠く眺めた海には、うっすらと赤いものが広がっていた。
「ああ、気にしないで下さい。そう言われても仕方ないような所ですから」
「山と言ってもキャンプ場なんかがあるわけでもないし、海も昼間はあの色だしなあ」
「でも、夜はなかなか素敵じゃない。そうそう、星空だってすっごいのよ」
「そうなんですか」
天の川だって肉眼でバッチリよ、とゆみこさんが得意そうに笑う。
思えば、星空をゆっくり眺めるなんて、ずいぶん長いことしていない気がする。
いつだったか、最後に見た時は、確か新一といっしょで・・・・。
「蘭、ねーちゃん」
名前を呼ばれ、袖を引かれて、はっと我にかえる。
見れば、コナン君が、ひどく心配そうな表情を浮かべて、こちらを見上げていた。
新一のことを考えると、思い出すと、それが幸せな思い出であればあるほど、苦しくなる。
楽しかった記憶ほど、泣きたいような気持になる。
だから、そんなつもりはなくても、泣きそうな顔をしてしまっていたのかもしれない。
そうでなくても、コナン君は、すごく鋭い。
新一のことを考え、思い悩んでいる時、気づけば傍にいてくれる。
そして、ささくれてしまいそうな心を、柔らかく包んでくれる。
ねぇ、気づいてる?
そんなとき、自分がどんな顔して私のこと見てるか。
しっかりしなくちゃと思うのに、つい、優しさに甘えてしまう。
懐かしい、目を閉じれば浮かぶ、重なる、あなたの幻に。
でも、いつまでもそんなことじゃだめだと思うから。
だから、せいいっぱいの笑顔で、これ以上心配させないように。
「ねぇ、コナン君。夜になったら星を見に行ってみない?」
「うん!」
「ちょうど月もないはずだから、今夜はよく見えると思うわよ」
「おっ、星見で一杯ってのもオツだねぇ」
「ハハハ、毛利さんは、名探偵なのに気さくな方でいいですねぇ。どうです、今夜はうちで、くいっと」
「いいですなぁ!」
「 もう!お父さん!ほんと、ほどほどにしておいてよね」
「わーってるって、ら〜んちゃん」
さっきまでの重苦しい空気が消えたわけではないけれど、お父さんのおどけた物言いに、場の雰囲気が緩む。
「毛利様、お車の準備ができました」
そんな抜群のタイミングで、美坂さんが私たちを呼びにやってきた。
結局、お父さんは町の人たちに誘われて、一緒に飲みに出かけてしまった。
私たちは、星を見るために出かけることにした。
そう遅い時間でもないのに、町はすっかり闇色に包まれ、ぽつぽつ規則的に並ぶ街灯の明かりと、ぱらぱらと見える民家の明かりが、まるで星のように夜に浮かんで見える。
旅館の裏手に回ると、海岸へと下るコンクリートの階段があり、海岸の方へと降りれるようになっていた。
夕方、散歩ついでに下見はしていたけれど、階段の下の方は全く見えなくて、夜の向こう、闇の国へと続いているようだった。
「コナン君、大丈夫?」
「うん」
手を差し出すと、素直に手を取られた。
初めのころは、ずいぶん恥ずかしがっていたのに、今ではこうやって手をつなぐことは、ごく自然で当り前のことになっている。
こうやって馴染めるくらい、コナン君と共に過ごした時間の長さを嬉しく思う反面、それは新一がいない時間の長さでもあって、また胸がぎゅうと苦しくなった。
左手に借りた懐中電灯、右手にコナン君の手をぎゅっと握り、足元を照らしながら、注意深く、ゆっくりと階段を降りる。
階段はひどく急で、背の低いコナン君は降りるというより飛び降りるようにしていて、いくら運動神経がよいとは言っても、危なっかしく感じられて、ハラハラしてしまう。
1段飛び降りるごとに、振り返り、コナン君の足元を照らす。
コナン君は、そのつど、ひょいひょいと危なげなく階段を下りていた。
ようやく下に着くと、そこはもう砂浜だった。
正面には、さらに黒々とした闇が広がっていて、街灯の明かりも、このあたりまでは届いていない。
打ち寄せるたび、波頭が淡く蒼白く光るので、そのあたりから海なんだろうと辛うじてわかるくらいの、黒い世界をじっと見ていると、闇に飲み込まれてしまうような感覚に囚われる。
なんとなく手を離すタイミングがつかめなくて、手をつないだまま、二人夜の砂浜を歩く。
辺りはしんと静まり返っていて、さくさくと砂を踏む音と、波の音がうるさく聞こえるだけ。
見上げた空には、薄く雲がかかり、星の光を見ることはできなかった。
それでも、このまま帰ってしまいたくなくて、きっとコナン君も同じ気持ちだったのだろう、どちらからともなく、二人並んで砂浜に腰掛を下ろした。
コナン君に聞きたいことが、確かめたいことが、ある。ずっと。
懐中電灯は消してしまったので、すぐ隣にあるはずの顔さえはっきりと見えない、暗い夜の中ふたりきり。
つないだ手の温もりだけ感じられるような闇の中なら、素直になれるだろうか。
たくさん、たくさん、それこそ一緒に過ごしてきた日々の数だけ問いはあるのだけれど、でも、ほんとうに知りたい事はひとつだけ。
今にもあふれだしそうな、気持と言葉。
でも、口を衝いて出るのは、やっぱり当たり障りにないことだった。
「星、見えないね」
「昼間はあんなに晴れてたのにね」
「ほーんと。結構楽しみにしてたのにな」
このまま帰れない、帰りたくなくて、座ったまま、その場から動けない。
立ち上がることもできない。
握りしめた手は、ひどく小さく温かくて、大きく冷たい、あの人の手とは全然違うはずなのに、闇の中、隣に感じる空気は同じ。
名前が違う、年も違う、二人が一緒にいるところだって見たことがある。
でも、なぜだろう。
何度否定しても、何度否定されても、この手の向こう側にいるのは、大好きなたったひとりだとしか思えない。
こころがざわつく。
行かないで、消えないで。
繋いだ手、今度は繋ぎ止めたくて強く握れば、向こうからもぎゅうと握り返された。
「蘭ねーちゃん、こっち」
「どうしたの、コナンくん」
「うん」
コナン君は、突然立ち上がり、答えになっていない返事を返しただけで、わたしの手をとったまま、海の方へと歩き出した。
手はつないだままだったので、つられて立ち上がり、いっしょに波打ち際まで歩く。
途中、コナン君は、足もとの砂を そっと掬いあげ、それをそのまま、ざあっと海面にぶちまけた。
「わ・・・・・・ぁっ」
ばしゃりと、砂が海面を打つ音と同時に、一斉に青白く輝く水面。
一瞬の間、激しく輝いたそれは、闇にとけるように、ゆっくりじんわりと消えていった。
よく見れば、足もとに寄せる波が、返す波に、靴にあたって照らす光もないのに青白く泡立っている。
「夜光虫だよ。昼間の赤潮はこれだったんだ」
「コナン君、よくそんなことに気づいたね」
「あ、っと、ほら、だって、さっきから波打ち際がぼんやり光ってたから不思議だなーって。それに誰かが言ってたじゃない」
「そうだっけ?」
「そ、そうだよ。それに僕、前にテレビで見たことがあったから・・・・」
「そんな番組してたっけ?」
「や、やってたよ、NHKかどっかでさ・・・」
「ほーんと、コナン君はテレビっ子なんだから」
焦っている顔が想像できてしまって、小さく吹き出してしまった。
くすくす笑いながら、自分も砂を手に取り、そうっと海面へと落とす。
さらさらと手から滑り落ちる砂が、海に小さな銀河を作る。
ふわりと闇から浮かび上がった光の粒たちは、そっと、沈み、消えていった。
「キレイ・・・・・・」
そのまま二人で、靴がびしょぬれにならない程度に、波打ち際を歩く。
歩くたび、蒼白い輝きが靴先で輪を作る。
まるで、夜の中、星を生み出す魔法の靴で歩いているみたいだった。
「空の星の代わりにはならないかもしれないけれど」
「ううん、とってもきれい・・・ありがとう、コナン君」
そう言って、急に立ち止まったから。
驚いて顔をあげた気配がした。
「――ありがとう、コナン君」
小さく囁いて、やわらかな頬に唇を寄せる。
夜光虫の放つ仄かな光では、その時のコナン君の表情を見ることはできなかったけれど、繋いだ手、握りしめた手が、さらに熱を帯びたことは確かだった。
星の靴をくれた、小さな王子様。
でもきっと、シンデレラは私ではなくあなた。
12時の鐘は、何時鳴るのだろうか。
祝!江戸川コナンの日 5th
早いもので、今年でもう5回目なのですね。今年もなんとか参加することができて、とっても嬉しく思っています。
はじめは江戸川視点で書いていたのですが、なんだかしっくりこなくて、3人称に変更。でも、やっぱりなんだかしっくりこなくて、蘭ちゃん視点に変更、さらにコ蘭なかんじにしたい!と、ほんとうに何度も何度も書き直したのに、出来上がってみれば、「江戸川」というには微妙なものになってしまいました。どっちかというと蘭ちゃん100%、コ蘭の皮をかぶった新蘭・・・?
こんなに時間かけるなら、短いもの3本くらい書いて毎日更新とかできたかも・・・!と自分の力不足が悔しいですが、でも、人様に見せるの前提の書き物をしたのは、すごく久しぶりだったので、すごく楽しかったです。
それぞれにお忙しい中、今年も素敵な企画を立ち上げてくださった、MIMIさん、来夢さん、六花さん、そして、拙文をここまで読んでくださったみなさんに、最大級の感謝を、私にいつまでも情熱をくれる江戸川に最大級の愛をこめて・・・。
ありがとうございました。
2008/10/5 ミシマナミ