名前を呼んで




見慣れた風景、見慣れた校舎、 新しいクラス、新しい教室、の。

がらり、と少し乱暴に扉をひけば、 皆の視線がいっせいに集まる。

紅子につかまっていて遅くなってしまったにもかかわらず、教室内にはまだまだ人が残っていて、その中に驚き顔の青子を見つけてげんなりする。
あの顔では、俺が迎えに来るとは露とも思っていなかったのだろう。

ホームルームが終わってずいぶんたつはずなのに、おしゃべりに夢中だったのか全く帰り支度をしておらず、あまつさえ隣には、去年もおなじクラスだったENEMY認定NO.6がいて、しぶーい顔で、こちらを見ていた。
ちっ、と心の中で舌打ちをする。
特に一緒に帰る約束はしていなかったけれど、迎えに来て大正解だった。

クラスが離れるなんて思ってもなくて、また同じクラスになれると無邪気にそう思っていた自分の、そして隠すつもりは無いけれど、わざわざ吹聴してまわるものでもないだろう、なんていう考えは、甘かった甘すぎたのだ。

全く、油断もスキも無い。
ちなみにENEMY認定No.1の白馬もこのクラスのはずだけれど、また事件なのか、それとも帰ってしまったのか、教室に姿は無かった。


「アホ子ー、帰るぞー」
「ちょ、ちょっと待って・・・」
「早くしろよ、アホ子、アホ子、アーホーこーちゃーん!」
「んもう、アホ子アホ子連呼しないでよね!」

青子は、ひとこえ叫んで大慌てでかばんとつかみ、勢いよく立ち上がった。
が、勢いあまって座っていた椅子をひっかけて倒してしまい、椅子はがたんとド派手な音を立ててたおれた。
あわててなおそうと椅子に手をのばしたらば、それよりも先に隣の席の男の手が伸びて、やんわりと押しとどめられた。

「なおしておくから、早く行ったほうがいいよ。王子様がご立腹だ」
「ご、ごめんね、じゃあ。お先に!」
「否定しないんだ・・・」
「へ?」
「いや、また明日な、中森」
「うんっ、また明日ね!」

謝る必要も礼を言う必要もねーよ。
つか、また明日とかなんだそれ、と思ったものの、青子が王子様の部分を否定しなかったことに少し満足する。
青子のことだから、よくわかっていないということも十分ありうるけれど、少なくともそこで、いつもの「ただの幼馴染」発言をしなかったのは、大きな進歩だ。
あまりにも余裕がない自分をさらけ出すのは面白くなかったから、青子が席を離れたのを確認したところで、教室に背を向け、さっさと歩き出した。






「まさか迎えに来てくれるなんて思ってなかったからびっくりしたよ」
「あーでもしねーと、わけわかんねーのが寄ってくるだろが、現にさっきだって・・・」
「さっき?」

コイツ・・・なんのことか、ほんとうにわかっていないところが腹立たしい。

「ったく、オメーはわかってねーから、質悪ぃんだよな・・・」
「ちょっと、質悪いのはそっちでしょー。カワイイ彼女にアホ子アホ子だなんて、クラスでヘンなあだな定着したらどうしてくれるのよ!ほんっと、デリカシーがないんだから」
「デリカシーが無いのはどっちだっつーの」
「快斗でしょ?」
「オメーだよ!」

二人並んで校門を抜け、家の方へと歩く。

いつもの校門、いつもの帰宅路、いつもと変わらない風景、前回ここを歩いた時と、ふたりの関係は大きく違っているはずなのに、並んで歩くふたりの間の距離も、変わらない。
付き合い始めたなんていうのは、自分の妄想だったんじゃないかと思ってしまほど変わらない日常の風景がそこにあったけれど、青子の口から「カワイイ彼女」という単語が飛び出し、そんなことくらいで気持ちが上向いた自分が情けなくなった。
あんま自覚してなかったけれど、俺、どんだけ青子が好きなんだよ・・・。

盛大なため息は、青子に対してだけではなく、自分に対してもたっぷりと含まれていたのだけれど、青子はそのため息のあまりの大きさにむっとしたようで、不穏当な瞳で睨みつけてくる。
瞳で殺されそうな勢いだが、どうせなら違う意味で殺されたいものである。


「オメー、さ」
「な、なによ」

空気が変わったことに敏感に気づいたのか、さっきまでの勢いはどこへやら、近づいたのと同じだけ距離をとられた。

「自ら堂々とカワイイ彼女ってんなら、恋人らしことでもしてみやがれ」
「こ、恋人らしいことって」
「そうだな・・・」

にやり、と笑った俺を見て、青子はさらに身を引こうとしたけれども、腕を掴んで引き寄せ、キッドの時ですらめったに出さないような、最高に甘い声で、名前を呼んだ。

「青子」

青子が「ひぃっ」、と息を呑む。
いやいや、そこでそれはないだろうよ、と思いつつも、あまりの青子らしさに噴出しそうになるのをこらえる。

「オメーもカワイイ彼女らしく、呼んでみ?」

青子は、しばらくその場で固まっていたけれど、意を決したのか大きく深呼吸をして ――  オイオイ、深呼吸イラねーだろうがと思った次の瞬間、叫ぶように、俺の名前を読んだ。

「か、かかかかいとー!」
「声、でけーよ、近けーから聞こえるって」

しかも、喧嘩売ってるみてーだし。
たまらず噴出せば、青子もくすりと笑って、突っ張っていた腕の力を抜いた。
そのまま、本当に自然に俺の耳元に唇を寄せ、俺の名前をささやく。

「かいと」

名前を呼ばれた後に、ダイスキって聞こえた気がした。
やさしい響きがくすぐったい。
いつも、これくらいの甘さで名前を呼んでくれれば、よいのに。

「それでめいっぱい?」
「い、いっぱいいっぱいデス」

いっぱいいっぱいの青子は気づいてないけれど、帰宅途中の奴らが、ちらちらとこっちを見ていく。
こんなところでいちゃいちゃしていたら、明日から噂になっちまうなぁと思ったけれど、それはかえって好都合だろうと思い直す。

「ほら、帰るぞ」
「んもう、どうして快斗はいつもどうりなのよ・・・」

引き寄せたときに掴んだ腕を繋ぎなおし、また家への道を並んで歩く。


続きは、 また、明日。

2011/07/24


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