まどろみ


透き通るような青と、まばゆく輝く6月の太陽の光を受け、キラキラと輝く青い海。
目の前でさらさらと流れる、しなやかで長い髪。
歩く蘭の髪が、たっぷりと湿り気を含んだ潮風を受けて、細い首筋にまとわりつく。
打ち寄せる波の真っ白な飛沫が、初夏の陽射しを受けてきらきらと輝き、その飛沫にあわせて真っ白なワンピースの裾が、海風に煽られて、ひらひらと揺れる。
濡れないように、と少し持ち上げられた裾からのぞく膝小僧と、すらりと伸びた白い足。
もう片方の手には、真っ白なサンダル。
波打ち際をゆっくりと歩く蘭の背中が、きらきらと輝く6月の太陽の中に、まばゆい純白の光の中に、融けて消えてしまいそうで、俺はその髪へ、そして肩へと手を伸ばし、ゆっくり引き寄せた。

「新一?」

そうっと抱きしめて、額へと唇を落とす。
やはり潮風を受けて、湿り気を含んだ髪が数本、額に張り付いているのがやけに艶めかしい。
すぐに俯いてしまった蘭の頤をそっと指で掬いあげ、今度は唇を重ねる。
何度も繰り返し、啄ばむように唇をあわせ、深く口付けた後、ゆっくりと離すと、蘭は一瞬名残惜しそうな表情を浮かべたものの、頬を桜色に染め恥ずかしそうに、するりと腕の中から逃れ出てしまった。

でも、本気で逃げてしまう気はないようで、俺の手の届くか届かないかという距離で、蘭はくるりと振り返った。
逆光で表情が読めない。
俺はもう一度、腕の中にあのぬくもりを取り戻したくて蘭の方へ腕を伸ばした。

けれど、俺の腕はなぜか蘭に届かない。
手を伸ばしても、追いかけても。
すぐ近くにいるのに届かなくて。

「ら――」
「―― っ。コナン、くん」
「へ?」

名前を呼ぼうとした瞬間、逆に自分の、正確には仮初の名前を呼ばれて、驚いた。
ふわふわゆらゆらしていた意識がはっきりと目覚め、一瞬にして変わる眼前の景色。
風も、潮の香りも、陽射しも、あんなにもリアルだった全てが、飛沫のように散り消え、現れたのは、見慣れた天井と、壁と、カーテンの揺れる窓。
目の前には、零れ落ちてしまうんじゃないかというくらい、いっぱいいっぱいに瞳を見開いた蘭の顔。
頬はなぜか朱色に染まっている。
蘭へと伸ばした腕は短く、その先の手のひらも驚くほど小さい。

ゆ、め?

もしそうだとしたら。
俺は寝ぼけて蘭に何をしたのだろうか、何を言ったのだろうか。

「ごっ、ごめんなさい!あの、これは、その・・・」

やばいやばいマズイマズイ。

口を衝いて出るのは、そんな建設的でない事ばかりで、頭の中を駆け巡るのは、完全に止まってしまった頭と身体。
空気が、周りの風景が、全く現実味をなくして、スローモーションで流れていくように感じる。
これも夢であって欲しい、そんな事を考えながら、俺は蘭の指先が何かを確認するようにそっと唇へと触れるのを、他人事のようにぼんやりと見つめていた。
ゆっくりと、指先が唇をなぞる。
蘭は、何かを決意したように、顔をきつとあげ、唇をかみしめた。
その時の蘭の表情は、今にも泣き出しそうで、俺は何も言えず、でも、蘭から視線を外すこともできなかった。

「どうして、謝るの?」
「だって、それは・・・」

そんな目で、見つめられたら、そんな泣き出しそうな声で問われたら。
ここまでつきとおしてきた嘘をごまかす、うまい言い訳すら思いつかない。
それ以上、言葉をつづけられない俺を、やはり泣きそうなままで睨んで。

次の瞬間、唇に押し付けられた、やわらかくて温かな感触。
それは夢の中のそれ以上の威力で。


「ら、んねーちゃ・・・・」
「私は、謝らないからね」

呆然としている俺から視線を外さず、蘭はきっぱりと言った。

「ちゃんと。今のはちゃんとぜんぶわかってやった、もん」
「蘭・・・」
「ね、どうして謝るの?」

問いかける視線も、ゆっくりとこちらに延ばされた指先にも、もう迷いなんて見えない、感じられなくて。

「蘭、俺・・・・・・」

ごめんな、と、再度謝罪をしようと開きかけた唇。
蘭は、もういいという風にふるふると首を振り、そこから先を続けさせてくれなかった。
ゆっくりと開く蘭の唇。
視線が、外せない。

「もう一回、する?」
「・・・・・・する」

やわらかなほほに、自分からも指先をのばす。

2度目のキスは、花の、香りがした。

2006/06/18


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