Baby,Please go Home



海に沈む みかん色の夕陽を見よう。
昼と夜が、空と海が溶け合う瞬間を確かめよう。

全てが終わり、思いついたのは、そんな事だった。

行き先も、いつ帰るのかも決めずに飛び乗ったのは南行きの船。
たくさんの国境を越えてたどり着いた街は坂と緑と陽気な笑顔に溢れていた。


丘の上から沈む夕陽を見ようと、白い花の咲き乱れる坂道をぽてぽてと歩く。
いつも時間や何かに追われていた毎日。
日本にいた頃は、こんなにゆっくりと、何も考えずに周囲の景色だけを楽しみながら歩く事なんてなかった。
空も花も樹木も。同じ地球の上なのにどうしてこうも色彩が違って見えるのか不思議なくらいに鮮やかで。
そうやってしばらく歩いて辿り着いた先には、白い壁だけが残った教会が、青い空に浮かぶようにひっそりと建っていた。

観光地のはずなのに、その日は驚くほど人が少なく、周囲にほとんど人影はなかった。

「ここからじゃ海に沈む夕陽は見えねぇかな・・・」

丘をぐるりとめぐる遊歩道へと足を向け、建物の反対側へと回り込むと、目の前にギターを持ったおじさんがやってきた。

「Where did you come from?」

怪しげな片言の英語と人懐っこい笑み。
片手には、古くてぼろぼろだけれども大切にしているであろうことがわかるギター。
普段なら絶対に相手になんてしないのに、その時はどうしてだか正直に答えてしまった。

「・・・japao」

そのおじさんは相変わらずにこにことしながら、今度は片言の日本語で話しかけてきた。


「日本の歌。知ってる、歌える」
「へぇ・・・」
「一曲、一曲」

そう言って弾きはじめた曲は、ちょっと懐かしい、でも聞きなれたメロディだった。


「・・・んで2番からなんだよ」


そんなおじさんの歌声に重なって聞こえてくるのは、ここにはいないはずの大切な幼馴染の声。







「旅にでも、出るかな」
「ふーん、もうすぐ夏休み終わっちゃうのに。で、快斗はどこへ行きたいの?」
「まだ、決めてないけど」
「へ?なによ、それ」


あれは、全てに答えが出てから数日後のこと。
夕暮れの河川敷をぶらりぶらりと歩いていた時、突然そんなことを言い出した俺へ呆れたような表情を向けた青子は、しばらく俺の顔を見つめて。

再び前を向いた、その一瞬の横顔。

「いいんじゃない・・・でも、青子は忘れたくないな」

そのまま、こっちを向かず、まっすぐに前を見つめたままそう言った声。

「・・・んだよ、それ」
「突然旅に出るって言い出す人は、忘れたい事がある人らしいよ?」


振り向いた青子の笑顔は気のせいでなければ、なんだかちょっとさみしそうだった。

あの時の俺は、一体どんな表情をしていたのだろうか。
あの時の青子は、一体何を思っていたのだろうか。





気がつけば おじさんの歌は終わっていて、空も海も建物も、あたり一面オレンジとピンクのフィルターに包み込まれていた。
海のほうに視線を向けると、輪郭をくっきりと浮かび上がらせた日輪が、ゆっくりと海へと沈んでゆき、空の端が徐々に薄藍色へと変わりつつあった。


帰らなくちゃ、旅に出てからはじめて思った。
帰ろう、大切な人が待ってるあの場所へ。


黙ったまま夕陽を見つめ続ける俺のそばで、おっさんは何も言わずいっしょに夕陽を眺めていた。

2005/07/17


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