引越しの日



「よしっ、これで、一段落。快斗ー・・・って、あれ?」

リビングの方を任せておいたはずの快斗の気配が感じられない。
対面式のキッチンから、ぐるりと部屋の中を見渡してみても、快斗の姿はどこにも見当たらなかった。

「あれー、おっかしいなぁ」

リビングには、まだまだ本がばらばらと広げられていて、どう見ても片づけが終わったという雰囲気ではなかった。
寝室の方をのぞいてみても見当たらない。
風呂場をのぞいたり、トイレの扉をノックしてみても返事はなかった。
どうやらキッチンで食器や鍋なんかを片付けるのに夢中で、快斗がどこかへ出かけてしまったことに気づかなかったのだ。

「もー、まだ片付いてないのにドコ行っちゃったのよ・・・」

ふたたびリビングへ戻り、まだ開梱途中のダンボールからお気に入りの犬のビーズクッションを取り出し、すとんとソファーに腰を下す。
クッションを抱きしめてごろりと横になったところで、玄関の方からカサカサという何かが擦れるような物音と聞きなれた足音が近づいてきた。


「おー、お疲れ、お疲れ。でも、サボってんじゃねーぞー」

がばりとソファーから起き上がるのと、廊下に通じている扉が開かれたのは、ほぼ同時だった。

「あ、快斗!サボってんのはそっちでしょ!!ったく、どこいってたのよー。もう、サボリ癖はちっとも変わんないんだから・・・」

だいたいほとんどバ快斗の荷物なのにっ。
そうちっちゃくつぶやいたのは聞こえなかったのかキレイに無視することにしたのか。
快斗は得意げに手にしたコンビニの袋を見せながら続けた。

「まーまー、腹がへっては戦は出来ねーだろ?ホレ、差し入れ」

そういって、ぱんぱんに膨らんだコンビニの袋を差し出す。

「差し入れって・・・なんか日本語間違ってる気もするけど。まぁいいや。ねぇ、ねぇ。プリンある?」
「あるある。」
「じゃあ、メルティキスの抹茶味は?」
「甘いもんばっかだなー。とりあえず青子の好きそーなもんばっかだと思うけど?」
「さすが、わかってるじゃない」

袋の中に、大きなプッチンプリンやチョコレート、シュークリームが詰め込まれているのが透けて見える。

「よしっ、もうこうなったら休憩しちゃおう。お茶いれよっかな。快斗も紅茶でよい?」
「おー、頼む」

パタパタとスリッパの音を残して、青子はキッチンへと消えていった。





5分後。
柑橘系の香りをふりまきながら、ほかほかの紅茶をトレイに載せて青子が戻ってきた。

待ってる間にちったー片付けておくかと思って、ダンボールから本を取り出し、本棚へ並べていたのだが、案の定、少しやったところで読みふけってしまって、結局片付くどころかよけいに本は散らばってしまっていた。
どこに座ろうかと迷っている青子のために本をよけて場所を作ってやる。


「もー、なんかさらに散らかったような気がするんだけど」
「まーまー、俺がやる気になればすぐだぜ、すぐ」
「どーだか・・・」


ぺたりと床に座りソファーを背もたれにして、青子はプリンを食べはじめた。
俺も、コンビニの袋の中からバナナロールを取り出す。

もくもくとプリンを食べていた青子だったが、そのうちきょろきょろと部屋の中を見回しはじめた。

「なに見てんだ?」
「なんか不思議だなーと思って。この部屋の物って、ほとんど快斗が一人暮らししてた時ので、新しく買ったものなんて数えるほどしかないじゃない?見慣れたものばかりなのに、なんだか全然雰囲気違って見えるんだもん」

部屋が変われば、当たり前だろがと思ったけど、きっと青子の思う答えはそんなんじゃない。

「そりゃおまえ、ここは俺の部屋じゃなくて二人の家だからだろ。お前の物だって、ホレ、そこにもそこにも」

一人暮らしの時にはなかった青子の私物。
それは、決してたくさんあるわけではないけれど、ちゃんと存在をアピールしている。

「そうだよね。ふたりの家なんだよねー」

そんな、俺にとっては些細な ― でも、きっと青子にとってはかなり重要な ― ことを再確認して、嬉しそうに笑う青子。

これから毎日、ふたりでこういう小さな幸せを積みかさねて暮らしていけたら・・・。
でも、青子とだったら、難しい事だなんて思えない。
昔からそうだけれど、こいつの目には俺の目に映るのとは違う世界が見えていて、それを俺にも見えるように、わざわざ目の前に広げて見せてくれる。
見えなくても、気づかなくてもなんて事はないけれど、それによって心が豊かになれるような、なにか。

こいつにとっての俺も、そういうことをしてやれる存在でありたい、なんて。
ちょっとガラにもないことを考えてしまったから、なんだか恥かしくなって。
顔を見られたくなかったので、そのままごろりと仰向けに寝転んだ。
真っ白な天井をながめていたら、なんだかけだるくて・・・

「あーあ、これからまだ片づけして、いちいち家に帰るの面倒だよなー。このままここに住んじまおうかなー」
「だっ、ダメー!それ、絶対にダメだからっ」

なにげに言ったひとことだったのだけれど、青子は ばんっ、とガラステーブルに手を突いて、こっちに乗り出すようにして叫んだ。

「なっ、オメー、そんなムキになって否定するほどの事でもねーだろが」
「だって。だって、ここのはじめましては、いっしょがいいんだもん!」
「は?」
「式の後、一緒にただいま、ってしてたいんだもん。それから、キッチンは私が最初に使いたいの!それでいちばん最初に作るごはんはふたり分じゃないと。それから、お布団で寝るとき、いっせーのーでごろんってしたいじゃない!」
「いっせーのーで、ってなにを子供みたいなことを・・・。」
「子供みたいでも!とにかくそういう気分なんだもん!!」

ムキになって、あんまりにもかわいらしいことを言うのでこらえきれず噴出してしまった。
仮にも新婚、子供の修学旅行じゃねーんだから、いっせーのーで布団にごろんはありえねーだろ。
この、いつまでたってもお子様な女にちょっとわからせてやりたくて。

「じゃあ、トイレはどうすんだよ」
「ト、トイレなんて一緒なわけないじゃない!!」
「じゃあ、風呂は。最初はいっしょだな」
「え?あ。お、お風呂は・・・」

とたんに真っ赤になって、そんな、とか、ちょっと、なんてごにょごにょ言ってる青子は、俺にとってやっぱり誰よりいとしい存在だった。

「わかったよ。いっせーのーで、な」
「へ・・・?わぁっ!」

テーブルの上の手をとり、いっせーのーで、で花を咲かせる。
繋がれた手が揺れるたび、机の上に花びらが舞い落ちる。


来週になれば。
いっしょに「ただいま」って 帰ってこような、青子。

2005/02/13

みやさんに差し上げたものを加筆訂正。


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