夢破れて



謹慎を解かれた後、すぐに呼び出された安土の城。
じらすつもりはなかったけれど、この私ですら殿の考えを読みきれなくて。
ずるずると引き延ばし続けた挙句の登城だったにもかかわらず、殿はすこぶる上機嫌だった。


「猿、アナグマは好きか?」
「は?」
「アナグマだよ、猿」

くく、と笑う殿は、本当は影武者ではないかと疑いたくなるくらい上機嫌だ。
普段であれば、こんなマヌケな返答などしようものならすぐさま「下がれ!」と言う罵声と共に愛用の扇が飛んできてもおかしくない。
いや飛んでくるに違いない状況で、許されるわけなんて絶対に、ない。

そんな私の気持ちを知ってか知らずか、すっと目を細め口許に笑を浮かべたまま、殿は世間話をするかのように軽く言った。

「今回の中国征伐はお前に任せる。毛利のアナグマめを引き摺り出してこい」

はっきりとした口調は、有無を言わせぬ響きを持っていて、まっすぐに私へと向けられたまなざしは、初めて会ったあの時と同じで、私を射すくめ、そして焦がれさせてやまなかった。

「は・・・・・・必ずや殿の御前にアナグマめを平伏させてご覧に入れまする」

殿は満足げにうなづくと、視線を外へと移し、じつと湖面を眺めていた。
側へ、と呼び寄せられ、殿と共に眼下に広がる琵琶湖を眺める。

そこには、対岸に低く垂れ込める雲を切り裂く幾筋もの光の刃が、湖面の波に反射して、同じもののふたつとないまばゆい絵画を描いていた。


「なぁ、猿」
「はい」
「俺は生まれた時から、小さいながらも守護大名の息子だ」
「はい」
「人生50年、それからはな、今までの俺とは違う俺として生きてみたいと思う。そのためには、今度の中国征伐、いや、その後の九州平定も必ずや成功させねばならん。その先の、海のむこうの大地は無限の広さと聞く」
「それは・・・・・・」
「東のちっちゃな島国の王が世界の王になるなんて、なあ、ワクワクせぬか?」

隠居などするお人ではないと。
この人は立ち止まる事を知らない方だと。
己がいちばんわかっているつもりだったにもかかわらず、殿の口から飛び出した単語に肝を抜かれた。

世界の、王――

まだ国内も平定してはいないのに、この人の目は、心は、もうその先へと向かっている。

「他のヤツには秘密だ」

お前ならわかるだろう?
中村の水呑み百姓、足軽から一城の主に上り詰めたおまえなら。
そして今度は俺がその階段を上るんだと。
東の小国だ未開の蛮地だとバカにするバテレンどもをも薙倒し、この世の全てを己の手に、目の前に。

言葉には出さなかったけれども、秘密だ、と言った後にはっきりとそういう殿の声が聞こえた。


「・・・・・・この国は、どうなさるのですか?」
「ああ、それなら日向守あたりに任せるがよかろう。あいつはな、治世の能臣じゃ」

揺らがない生き様。
それを追いかけ続けて、たどり着いてしまったこの場所。
満足していた、満足なはずだった。

地位よりも名誉よりも金よりも。
人がうらやむそんなものよりも、自分にとってはさらなる高み目指して走り続ける日々の方が、こんなに胸震わせるものだと気付いたのはその瞬間。
そして。

「覚悟しておけよ」

―― お前は、ついてこい

言外にだが、はっきりといった殿の向こう側、いつの間にか暗褐色の雲は消え去り、薄紅色の夕焼けが広がっていた。
ゆっくり振り返った殿の表情は、逆光のせいではっきりと見えなかったけれど。
それは今まで見たことのないくらい、綺麗に笑っているに違いない。





瞳を閉じれば、まぶたの裏に浮かぶのはあの日の記憶。
その薄紅はゆらゆらと燃え上がり、やがて紅蓮の炎となり殿を覆いつくして――

そして、聞こえる夢幻のごとく、と言う声。

自分がかわりに、だなんて大それた事を思っているわけじゃない。

見たわけではない、聞いたわけでもない、見えるはずも聞こえるはずもない、殿の声、殿の希。
でも、それらがあの瞬間に魂に焼きついてしまったから。
頭では理性では無理だと。群臣に諌められずともわかってはいるけれど、心が向かうのは遥か彼方、海の向こう。



共に見た、そんな無残な夢のあとさき。


蛇足:
歴史ものって究極の二次創作だと思うのです。
筋書きは、曲げようもなく決まっていて、その中でなかみを推し量るしか術がないわけで。
で、そこにはいろんな秀吉像があるわけです。
ずっと。ずっと私の中のオフィシャル秀吉は善の皮を被った悪で、偽善者で、そのほうが納得行く事が多くて、でも。
どうやっても納得行かないのが朝鮮出兵。
そんな事をずっと考えていて、ふと思ったわけです。
結局は、信長の影を追い求めているのであれば、あの絢爛豪華さもムリな対外出兵もすべて納得がいくんじゃないかと。
心から尊敬していた人への追いつけない憧憬と、共に歩めると信じていた道。そして叶えられなかった狂気。
これは、私の中での解答のひとつのかたちなのかなと思ってます。

好きな武将はと聞かれて秀吉と答えると、どこが!?と聞かれることが多くなってきました。
うーん、今はキラキラした武将が人気だから、旦那さんの直江兼続ほどではないにしても(これ、ほんっとかわいそう)言うのがヤだなぁと思ったりしてて、でも、昔は3英傑ってだけで納得されて、それはそれでヤだなぁなんて思ってたからどないやねん!って感じなのですが(苦笑)
なんというか、この人の中にある光と影というか、理性と狂気というか、その2面性に惹かれます。
この時代の他の武将と違って、信じるモノ、彼の根底にあるものがちっとも見えない、にもかかわらず、頂点に登りつめたその力の源はどこから来てるのかなぁと。
考えれば考えるほど面白いと思うんですけど。

なーんて、うはは、何を書いてるんでしょうねー。


これ、のぼうの城読む前に書いたわけですが、あの三成って、ちょっとこの秀吉っぽいな!と思いました。
すみません。そんないいもんじゃないのは本人が一番わかってます。




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