ステーション



明け方、ふらふらと帰ってきた新ちゃんのために簡単な夜食と言うか朝食を作り、二度寝しちゃうと起きれないからと、ご飯を食べる新ちゃんに付き合ってゆうべの事件の話を聞いていたら、あっという間に学校へ行く時間になってしまった。
駅までダッシュしている途中、手にしたかばんが、やたらに軽く感じられて、もしかしてあわあわと出てきちゃったから、あまりモノで作ったお弁当を忘れてきちゃったのかも、とカバンをあけた瞬間。
本当に何がどうなったかなんてわからなくて、わわわ、とよろめいたと思ったら、もう目の前いっぱいにホームのグレーと白線とが近づいていた。
普段なら、ここまで見事にこけなかったはず、というのは今のこの状況を前にした言い訳でしかないんだろうけれど、とにかく、べしゃり、とまるで現実の音とは思えないくらい派手な音と、無意識のうちについた腕に感じたやたらにリアルな痛みのせいで、思考の意図がぷっちりと引きちぎられたみたいだった。
ずきずき、心臓あわせて痛みの走る体は、まるで自分の体じゃないみたい。
なになに、何が起こって、青子は今どうなっているの?
頭にぼんやりともやがかかったようで、何も考えられなかった。

「おい、大丈夫か!?」

どのくらいそうしていたのかハッキリしなかったけれど、耳元ですっごく大きな声がして、ほんの少しだけ意識がハッキリする。

「・・・ぅぅ・・・」

やたらにすーすーとしていた足元にふわりとしたスカートの感触がよみがえったと思ったら、ぐっと力強い力で、でもやさしく抱き起こされた。
やっぱり何がどうなっているのかわからなかったけれど、ぼさぼさと乱れた前髪のすきま、ぼんやりとした瞳に映ったのは、学ラン姿の少年と、その少年が散乱した筆箱やらノートやらを掻き集めてくれている姿。
どうして彼が、青子を助けてくれたのか、その上親切にも荷物を集めてくれているのかさっぱりわからなかったけれど、とにかく他の人たちが無視を決め込んでいる中、助けてくれた彼にお礼を言わなくっちゃ、ということだけは確かだった。

「!?…えっと、あ、ありがとうございます」
「ん。気にしないで。怪我ある?」

年は青子同じか、新ちゃんと同じだろうか。年の割りに落ち着いた声に、今更に恥ずかしさがむくむくと沸き起こる。

「え、あ、大丈夫ですから」
「そう」

心配そうに覗き込む視線にどきりとする。あわてて立ち上がろうとしたけれど、彼の腕ががっちりと青子の腰を支えてくれているままだったので、そこから動くことができなかった。
そこでようやく気づく。
これって、抱きしめられてる、みたいなものだよね?
他意はないとわかっていても、羞恥で体が硬くなる。

「い、いや本当に大丈夫です、よ」
「はぁ・・・あっ!」

彼は、さりげなく青子を解放してくれた。
もともと、立ちがあろうとしていたので、その勢いのまま、はじかれたように立ち上がってしまった。
ふ、と小さく疲れたため息。
やっぱり、他意なんかなくて、ほんとうに単なる親切心だけだったんだと思うと、自分の思い違いと、親切に対するには、あまりにも失礼な態度に、申し訳なさでいっぱいになった。

「良かった。本当に元気みたいだね」

怒っちゃったかなと思ったけれど、優しい言葉をかけられて、少し安心した。
そして、そのときはじめてその男の子の顔を真正面からちゃんと見た。
かばんを差し出しながら、にっこり微笑んだその顔は、クラスの男の子たちとは違って、もう、ものすごく自然でかっこよくて、王子様みたいだったから。
心臓がばくんと飛び出しちゃうんじゃないかと思った。
こんな風にやさしく笑う男の子に会ったことなんてなくって、くしゃくしゃの自分がひどく恥ずかしかったけれど、今更どうしようもなかったから。
だから、せいいっぱいの感謝を込めて。

「本当にありがとう!」

と、本当に心からの感謝を込めて笑って言ったのに。
彼は、青子のかばんを持ったまま、じっと顔を見つめて動かなかった。
あまりの無反応振りに、え、ちょっと、青子何か変だったのかなぁと不安になる。
どうしたのかな?って思わず首をかしげちゃったら、さっと視線を外されてしまった。
あ、となんだか今まで感じたことのない気持ちがむくむくと湧き起こるのを感じた。
なんだろ、これ・・・。

「ああ!時間が!」

じ、かん?あわてて私も振り返り時計の方を見ると、針はもう1限には絶対に間に合わないような時刻を指していた。

「へ?あ、あああああ!!遅刻しちゃう!…イタッ!!」

自慢じゃないけれど、青子は今まで無遅刻だったのに!
あわてて駆け出そうとしたとき、右足に激痛が走った。

「大丈夫か!?さっきので、捻挫?」
「そうみたい…あ、でもちょっと痛いだけだから大丈夫です!」
「送ってくよ。その制服帝丹でしょ。とりあえずベンチ行こうか」
「い、いやそそそそそそんな見ず知らずの方にそこまでお世話になるわけには!!」
「俺、黒羽快斗。君は?」
「は、中森青子、です」
「これで俺たち見ず知らずじゃないよね、中森さん」

脈絡なく名前を聞かれて思わず答えてしまった。
見ず知らずの人に!と新ちゃんが聞いたら激怒するだろうと思いつつ、もう、見ず知らずじゃないなぁと、よく考えてみれば無茶苦茶極まりない理屈に納得してしまった。

くろば、かいと。

くろば君かぁ、って聞いたばかりの名前を反芻してみたその瞬間、体がふわりと宙に持ち上げられた。

なになになににに?
まるでお姫様みたいに横抱きにされ、あっという間にベンチに腰掛けさせられる。
その動作があまりにも流れるように自然で、抵抗しようとかそんなこと全然考える間もなかったけれど、、さすがに靴を脱がされ、ハイソックスを手にがかかるにいたって、はっと我にかえった。
ちょ、ちょっとそれはあんまりにも恥ずかしすぎる!
あわててその手をぎゅうと押しとどめると、黒羽君は無言ですっと立ちあがり、ホームの端にあるトイレへと消えていった。

怒っちゃったのかな?
心臓の辺りで、また今までに感じたことない痛みが、ちくり、と沸き起こるのを感じた。
んもう、いったいなんなの、この気持ち。

もやもやとした気持ちを振り切るため、ふるふると首を振っていたら、かばんの中の携帯電話がぶるぶると着信を知らせはじめた。
携帯のディスプレイには新ちゃんの名前。
学校に遅刻しちゃってる、というのとはまた違う罪悪感のようなものが、ボタンを押す指をためらわせる。

「・・・もしもし、新ちゃん?」
「ったく、オメー弁当忘れてっただろ?俺は今日休むつもりだけど、持って行ってやるから、先生に見つかんねーように裏門のとこで待っとけ」
「あ、あのね、青子駅のホームで転んじゃって、ちょっと捻挫しちゃってそれで」
「ったく、相変わらずだなぁ。わかった、駅に迎えに行ってやる。ついでに学校にはいっしょに休む連絡入れといてやるから。そこで待ってろ。じっとしてろ。知らないやつについていくなよ?」
「え、でもゆうべ遅かったでしょ。そんな悪いし」
「遠慮すんなって」
「あ、ちょ・・・」

青子の返事を待たずに、通話は一方的にぷつりと切られた。
知らない人についていってはいないけれど、すでに思いっきり助けてもらっちゃっている。
その黒羽君は、戻ってこない。
やっぱり怒って学校へいっちゃったのかなぁ。完全に遅刻な時間だもんね。

いつもなら、新ちゃんがきてくれるという、もうそれだけで、いろんな不安がぱっと消え去るのに、今日は、ざわざわとした胸のもやもやが消えないまま。
ふう、とためいきひとつ。
かばんに携帯をしまっていると、手にぬれたハンカチを持って黒羽君がもどってきた。
その瞬間、なんともいえない安心感を覚えた自分に驚いた。

「おまたせ!足出して!」
「大丈夫です!自分でやります!」

またふわりと微笑まれ、どきりとした。
そんな気持ちを隠すかのように、思い切りハンカチを引っ張ってしまって、しまった!と思ったけれど、そんな青子を見て、黒羽君はからかうようないたずらっぽい笑みを浮かべた。
ああ、なんでこの人、こんな顔で笑うんだろ。
笑顔でとろけてしまいそうだよ。

「・・・すごい力で奪い取ったね俺のハンカチ」
「だっ、だって、さすがにそこまでは悪いですもん」
「つーかタメ口でいいよ。俺タメ口で喋ってるし」
「・・・高2?」
「高2」
「あ、えっと、それじゃあ黒羽、くん?あの青子のことはいいからもう学校行って」
「ああ、平気平気。うち校則ゆるいから」
「でも、さっき電話したら新ちゃん迎えに来てくれるって・・・」
「・・・・・・・・・・・・・・・は?」
「あ、兄です」
「ああ!!お兄さんね!」

くるくるとかわる表情、あわせてまわりの空気が変わる。
すっごくわかりやすい人だ。
誤解されちゃったと思って、思わず言い訳したのはどうして?
誤解、そう、誤解されたらイヤだったんだ。だって・・・すき、という言葉がもやもやとした心の隙間にすとんと収まった。

そっか、青子は――青子は黒羽君のこと、好きなんだ。




「中森さんさ、なんで俺がこんなに親切かわかる?」

突然の問いかけは、自分の想いにふけっていた青子の意表をついた。
なんで?って、ソレは青子が聞きたいことなんだよ。
とっさにそう言い返しそうになるのを押しとどめ、質問の意味を考えてみたけれど、当然答えなんてでなかった。
どうして、どうして見ず知らずの青子にこんなにやさしくしてくれるんだろうって。
考えたけれど、この突然の質問の意味も、正しい答えも全然思いつかなかった。
ただ、勘違いしてしまいそうな自分の気持ちを抑えるためのいちばん正しい答えを唇に載せる。

「黒羽くんが、優しいから」

そう答えると、黒羽君は、ははは、って笑って、びっくりするようなことを、まるであいさつでもするかのように、ごく自然に言った。

「中森さんが、あんまり可愛かったから、一目惚れしたんだよ」
「嘘」

思わずもれたつぶやきに「嘘じゃない」と間髪いれずに答えて青子の手を取る。
男の人にこんな風に手を握られるなんて、ほんとはじめてで、びっくりしてしまったけれど、全然いやじゃなく、むしろ、その手の暖かさが心地よかった。
とくとく、暖かい手のひらを血液が流れていくのを感じる。
きっと、青子もコレくらいの速さでどきどきしていて、ソレが伝わっているに違いない。
心臓がうるさい。きっと聞こえちゃってるに違いない。

「中森さん、好きだ」

どくん、と、飛び出しちゃいそうなくらい、ひときわ高く心臓が鳴る。
さっきまでとは違って低く甘く、かすれた声が、青子の全身に電気を走らせる。
一目ぼれなんて、絶対にありえないと豪語している新ちゃんに言わせれば、ただのナンパだ!本気にするなとと大騒ぎするにちがいない。
でも、この手の暖かさ、熱さは偽りなんだろうか。
彼の気持ちのほんとうの部分はわからないけれど、でも、青子の気持ちはさっきちゃんとわかってしまった。
ついさっきまで、全然知らない人で、このままだとまた関係のない人に戻ってしまう彼。
彼にちゃんとこの気持ちを伝えたいけれど、金魚みたいに、ぱくぱく言葉にならない。

「今すぐじゃなくて、ハンカチ返してくれるときでいい」

行って、しまう。
そっと離された手のひらが、未だぬくもりを求めていた。
いやだいやだ、どうしよう、こんな気持ち。
今度は、さっきみたいに、戻ってきてはくれない。
ハンカチ返すときって、いつ?どこで?
青子、名前以外何も知らないんだよ?

行っちゃ、いやだ。

そう思うと、指が自然に彼を求め、学ランのすそを引っ張っていた。

「青子いつどこで返したらいいかわかんないよ」
「あ、そっか、じゃ」
「う、うん。だからね、今返すね」


あわててハンカチを足首から外すと、ひやり冷たい空気が足にまとわりつく。
とりあえず、ハンカチを返したものの、そこで青子の勇気はほぼ使い果たされてしまっていて、すぐに言葉が続かない。
泣きそうになったけれど、ここで泣いちゃったら彼を困らせるだけだ。

こんな気持ち、ほんとにはじめてだよ。

一瞬の気の迷いだ、はしかみたいなもんだ、もっとよく考えろ――新ちゃんの声がぐるぐると青子の頭の中で繰りかえされたけれど、ほんとうにこんな気持ちはじめてなの。
言わなくちゃ、今週のおとめ座は、恋愛運五つ星だったもん。
ラッキーカラーは黒だったもん。
ラッキーアイテムはハンカチだったもん。


「いやあのあの青子も黒羽くんにすきって言おうと思ってたのほんと勇気出して」


言ったとたんに、ぽろりと涙がこぼれそうになったから、あわててうつむいた。

まだ置いていかないで、もうちょっと、いっしょにいてほしい。

言葉に出せなかったけれど、いつの間にか青子の手がそんな気持ちを伝えたくて、黒羽君の手をぎゅうと握り締めていた。
力強く握り返された痛みですら心地よい。
このまま、もうちょっとこのままで。



この後迎えにきた名探偵と一悶着希望。
シュレッダーのじょいちさんのところのお話がツボにはまりすぎて、勝手に書いて(うわぁ)さらにご本人に押し売りした、そんなイタイヒトリ遊びの産物でした。
すみません、勝手に設定使って。でも、書くの楽しくて仕方なかった!
あまりしっかりと校正してないので、誤字とか言い回しとか変なところたくさんあると思うのですが、本気ヒトリ遊びなんで許してください・・・。


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