青空になる


9月に入って少し暑さが緩んだものの、まだまだ夏と言ってもいいくらいの日が続いていて、アスファルトからの熱と排気ガス、エアコンからの熱風が追い討ちをかけてくる。

病院にたどり着いたときには、噴出す汗でシャツはべとべとになっていた。
自動ドアが開くのももどかしく、院内に駆け込むと、冷房のひやりとした空気と、看護師の冷たい視線。
視線は適当に受け流し、でもはやる気持ちを抑え、仕方なく早足で病室へと向かう。

「産まれた・・・って!」

勢いのままに、がちゃりと病室の扉を開けると、すぐさま「しーっ!」とたしなめられた。
正面のベッドの隣には小さなベッド。
しまった!と、思わず扉を閉めてしまったけれども、廊下に戻る必要は全く無くて、少しばつが悪かったけれど、今度はそうっと開けてみれば、くすくす笑いながら手招きされた。

「ちょうど、眠ったところ。さっきまで起きてたんだけどね」

彼女の傍らの小さなベッドを覗きこめば、ぶかぶかの肌着にくるまれて、わが子が、すうすうとちいさな寝息を立てていた。
今まで生まれたばかりの赤ん坊を目にする機会なんてなかったから、あまりの小ささに驚いた。
なんと言っても出産準備をしていた時に、小さ過ぎるのではないか、とひそかに思っていた肌着よりさらに小さいのだ。
「抱いてみる?」と聞かれたけれど、こわしてしまいそうで恐ろしく、どこを触ってよいのかもわからなかったので、そっと頬に触れてみた。
すべすべの頬は温かく柔らかく、触れた瞬間、本当に動くのか不安なほどに小さな手が、びくりと動き、あわてて指を離す。
ぺたりと額にはりついた髪は細く、こんなに小さく弱々しいのに、ゆれる肩がきちんと命の鼓動を刻んでいることを主張している。
まだ、自分の子供だという、そもそも父親になったという自覚すら持てていない状態だけれど、愛おしい、自分が守らなくてはと思ったのは確かで、視線が外せなかった。

もう一度、今度はすっぽり手に収まりそうなくらい小さな頭を撫でてみた。
優しく撫でるたび、手のひらから、熱と一緒に愛おしさがこみあげる。

「抱っこ、しなくていいの?」

「ああ、目が覚めたらさせてもらうさ」

「お仕事のほうは、だいじょうぶなの?」

「おう、奴にはまんまと逃げられちまったけれど、後処理はバッチリキッチリ終わらせてきたからな。しかし、くそっ、よりにもよって、こんな日に・・・」

お産も危ぶまれていた彼女だったけれど、意外に元気そうなのをみて、ほっと安心した。
昨夜も、ほんとうに気が気でなかったのだ。
もともとの多忙に加え、アイツのせいでここしばらくは、さらに忙しく、こんな時にまで彼女に気を使わせてしまったのかと思うと、自分が情けなく、あの怪盗に対する怒りをが、ふつふつと湧き上がる。

苦りきった俺を見て、この話はここまでね、と、また少し困ったような笑みを浮かべ、彼女は隣で眠るわが子に視線を移した。

「そういえば、名前、決めた?9月の色が思い浮かばないから、顔を見てから決める、なんて言ってたけど」

「ああ・・・青子、というのはどうかな?」

「あおこ?」

「おまえの誕生石の青い石のイメージしか思いつかなくて、でも、女の子に青って言うのはどうかと、ギリギリまで悩んでたんだが・・・・」

病院へと向かう途中、彼女のこと、子供のこと、考えながら仰ぎ見た空の色。
期待と不安と歓びをずべて飲み込んだ、空の青。
扉を開けた瞬間、彼女の向こう側、目に飛び込んできた鮮やかな空の色。
夏と秋の狭間の、透き通るような青。
そんな色は、悪くない。

「今日の空が、あまりにも綺麗だったからな」

その青を閉じ込めた、俺たちの宝石、とまでは気恥ずかしくて言えなかったけれど、彼女にはなんとなく通じたようで、窓の外へと視線を移した後、こちらに向き直ったときの彼女の笑顔が、あまりにもきれいで、不覚にも見とれてしまった。

「いい名前ね」

「・・・だろう?」

得意そうな俺を見て、またくすりと笑う声。

「なんだ?」

「あなたから誕生石なんて発想が出てくると思わなかったから。どこかの怪盗さんの影響かしら?」

「・・・婚約指輪、やっただろう」

くすくすと笑う声と、すやすや眠る青子の小さな寝息。
そっとゆるく握られた小さなてのひらにさわってみる。
ちいさくて、でも確かにある暖かなぬくもり。

窓からは、まぶしい日差しが差し込み、そのむこうには透けるような青い空が広がっていた。






















「お父さん、お父さんってば!」

「ん・・・・・・」

「おはよう、朝だよ!」

「ああ、もうそんな時間か・・・」

「ほらっ、起きておきて。起こしてくれって言ったの、自分でしょ。青子、もう学校行かなくちゃ」

布団をひっぺがされ、勢いよくカーテンがひかれた。
窓からは、寝不足にはまぶしすぎる、明るい日差しが部屋いっぱいに広がる。
昨夜は遅く、今夜はキッドの予告日なので、そのまま夕方まで寝ていてもいいくらいだったけれど。


「・・・お誕生日おめでとう、青子」

「お父さん、覚えてくれてたの?」

「当たり前だろう!」

キッドが復活してからというもの、前以上に一緒にいる時間が少なくなってしまった。
今夜だって帰ってはこられないだろう。


だから、この日にしか言えないこの言葉に、せいいっぱいの気持ちをこめる。

あの日から、もう17年。
小さかった手は、こんなにも大きくなり、どんどんと自分の手から離れていってしまうのだろう。
でも、あの日見た青子の小ささ、感じたぬくもり、抱いた気持ちは、自分から離れていくことはなく、あの日の空の色と一緒に、いつも鮮明に思い出すことが出来る。

嬉しそうに笑った青子の向こう側、 窓の外には、あの日と同じ、透き通った青空が広がっていた。

2010/09/20


青子、お誕生日おめでとう!

警部と青子と青で最初に思いついたのがこの話でした。
これ、青子と快斗に見せかけて、実は警部でした、みたいなの狙って書き始めたのですが、途中で気づきました。
わたし、最後だし、しかも「中森警部」ってバッチリ書いてあるヤーンと・・・(苦笑)
しかも、警部と青子というよりは、警部と青子ママみたいなね・・・。
とりあえず 普通に書いたら、こんなかんじになりました。まる。
あ、警部が自分のこと言う時は「ワシ」ってのはわかってるんですが、若い時から(青子生まれたの、たぶん20代半ばですもんね)「ワシ」ってのは、書いてて非常な違和感だったので、あえて使いませんでした。
気になるとは思いますが、ご容赦ください。