酔い



すべてが終わってから3年。
青子は大学生、俺はマジシャンとしてそれぞれの道を歩き始めていた。
依然、関係は幼馴染のまま。
お互いに、特に俺のほうが忙しくなってしまったため、以前のようにいっしょにいるということはなくなってしまったけれど、でもそれでも、青子の中で気の置けない男友達としての俺の地位は不動のようで、メールをやりとりしたり、仕事に空きが出来たときには、お互いの近況報告を兼ねて、食事に出かけたりしていた。


久しぶりに、まとまった休みがとれたので、俺は青子に連絡を取ってみた。
10回ほど呼び出したあと、ようやく電話口に出た青子は、なにやら元気がない様子だった。

「よーぅ、久しぶり」
「ああ、快斗、うん、久しぶり」
「おうおう、どうした、しょぼくれて。なんだ、男にでも振られたか?」
「うーん、そんなとこ、かな・・・」
「なに!?オメー付き合ってたの?」

寝耳に水、である。久しぶりと言っても、一ヶ月ほど前に会っている。そのときには、そんな話題は全くなかったし、気配も感じられなかったのに。士、別れて三日、刮目して相待す、ってか。まー、青子は女なんだけど、おいおい、冗談じゃないぞ。
はじめて時計台の下で会ったあの日から10年とすこし。なんとなく気恥ずかしかったり、状況が許さなかったり、今更なんて思ってしまっていたり。でもとにかく青子がスキだと言う俺の気持ちに変わりはなくて。そして、大学に入って俺の目が届かなくなっても、男の影も形も見えない青子だからこそもうちょっと、このままでも大丈夫だと。
まだまだお子様だと、青子に限って、と油断していたと改めて思い知らされるだなんて。
なんだよ、ダレだよ――と叫びだしたい気持ちをぐっと堪える、そんな俺の気持ちに、さっぱり気付いていないであろう青子は、ぽつぽつと状況を語り始めた。

「正確にはね、付き合う前に振られちゃったの」
「――は?」
「付き合わないか、って告白されたの。でも、青子今までそういう経験なかったから、どうしたらいいかわからなくて。で、返事ぐずぐず延ばしてたらね」
「ふーん・・・つか、それ、ふられたって言わないと思うぜ」
「ねえ。20歳過ぎて男の人と付き合ったことないなんておかしいかな?」
「いーんじゃねーの?だいたい、オメーそいつのこと好きだったのかよ」
「うーん、今思うと、自分でもよくわからないんだ。親切だったし、お話してて楽しかったけど・・・初めてだったから。ちょっと嬉しかっただけなのかもしれない」

しゅん、と青子は声のトーンを落としてしまった。
心の中で、ガッツポーズをとり、安堵のため息をついた自分がなんだかちょっと後ろめたくて。

「よし、じゃあ今夜はバーっと飲むか。な、青子のつきあえませんでした残念会だ」
「快斗・・・よーし!今夜は飲むぞー!!お父さんも夜勤でいないからぱーっと!」

待ち合わせは、駅前の居酒屋になった。




青子は、そんなに酒に強い方ではない。パーっと飲むぞー!なんていっていたものの、店を出る頃には、へろへろに酔っ払ってしまっていた。
むにゃむにゃと何か訳のわからない事をつぶやく青子を背負い、ああ、近所の店にしておいてよかったと心から思う。
新進気鋭のマジシャン、黒羽快斗。酔っ払いを背に深夜デート、なんて。
あんまり嬉しいもんじゃない。なんといっても、本当に付き合ってるわけじゃないのだから。

ようやく青子の家までたどり着き、やれやれ、と青子をベッドに転がして、なみなみと水を汲んだコップ片手に青子の部屋へと戻ると、青子はベッドの上で、うとうとしているようだった。
ぺたり、とよく冷えたコップを頬につけると、ゆっくりと目を開け、やっぱりひどくゆっくり上半身を起こして、ごくごく美味しそうに水を飲み干した。

「大丈夫かー?」
「うーん、だいじょぶー」
「そうは見えねーけどなー」

空のコップを受け取るべく、身を寄せた俺に青子はしなだれかかり、頭を肩に預けて、ぽつりつぶやいた。

「・・・ほんとはね、ちょっとちがうの」
「なにが」

――じゃあ、中森はキスとかもしたことないんだ。めんどくせーな・・・。

「って、言われたの」
「あー・・・」
「おかしいのかな?おかしいんだよね?もう・・・大人なんだもんね」
「べつにいーんじゃねーの?それこそ、スキでもねー奴とする必要なんて、ねーだろ」
「ねぇ、快斗はキスしたこと、ある?」
「あー・・・まぁ、な」
「そっかー、そうだよねー」

それは、ちょっとした男の見栄。
ほんとは、ずっと以前のこと。まだ高校生だった頃に、眠りこけてる青子にないしょで、そっとしてみただけだ、なんて口が裂けても言えなくて。
でも、俺の答えを聞いた瞬間、青子は身体を硬くして、ゆっくりと大きなため息をついた。
表情は見えなかったけれど、青子は泣いちまったんじゃないか、って思えて。

「おい、青子」
「なーにー」
「俺で試しとけ」
「なにをー?」
「最初の、ちゅう」
「・・・へ?」

コイツのファーストキスは、間違いなく俺なんだけれど、ほかの、わけのわかんねー男だと青子が思い続けるなんて、真っ平ゴメンだと。事実も思い出も、全部独り占めしたい。
酔っていないつもりでも、俺も酔っ払っていたのかもしれない。
普段なら絶対に口に上らせることのない欲望がすらりと零れ落ちた。
瞬間、口の中がカラカラに乾き、心臓がばくばくと普通じゃない勢いで高鳴る。どんなに大きなステージでも、ここまで緊張したことなんてない。
いつまでも返事のない青子に痺れを切らせ、勢いに任せてぐぐっと顔を近寄せると、青子は酔いのせいだけじゃないだろ、ってくらい真っ赤な顔で大きく目を見開き、ぎゅっと唇を引き結んでいたけれど。
あと少し、唇が重なるその瞬間にひとみを閉じ、唇を緩めた。

意を決した、恥ずかしそうな表情、少し震えている唇を見た瞬間、全身に夏が駆け巡ったような気がした。
そんな気持ちを悟られないよう、必要以上にゆっくりと、自分の唇を青子の唇に重ねた。

やわらかな感触、甘いカシスの味と、オレンジの香り。

ゆっくりと唇を離すと、青子もゆっくりと瞳を開け、しばらくぼんやりとこちらを見ていた。

「げ・・・」
「げ?」
「芸能人とキスしちゃった・・・」
「は、はぁぁ〜?」

あまりにマヌケな、とんちんかんな感想にどっと全身から力が抜ける。
いままでの緊張感を返してくれと、改めて青子のほうを見ると、青子はまっすぐに俺を見つめたまま瞳からぼろぼろと大きな涙を落としていた。

「なっ、なんでオメー、泣いてんだよ。もしかしていやだったのか?その、だったら悪かった――」
「違っ――だって、快斗テレビとかでてるんだよ?もう芸能人なんだよ?だから、だから・・・」

なんだか、様子が違う。

「だから、なんだ?」
「だから、だから青子は、ダメだと思ってたの、ずっと」
「ずっと、って・・・」
「だから、今ね。ゆめ、見てるみたいなの」

俺のほうが、夢みたいだぜ、なんて。
そんな台詞言えるわけなんてなくて。

「じゃあ、夢の続きはどうですか、お嬢さん」
「ぅ・・・ん」

かわりに、少しだけ気障な仮面をかぶり、腕をとり引き寄せて。
もう一度、啄ばんだ唇はやっぱり甘くて、俺はキスしたままさらに青子を抱き寄せ、そのままそっとベッドへと横たえた。

2006/5//18


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