梅雨の晴れ間の日曜日。
博士はゆうべ徹夜したらしく、朝食の時間になっても部屋から出てこなかった。
おそらくこのまま夕方くらいまでは惰眠をむさぼっているだろう。
ケンタは、友達と釣りに行くようなことを言っていた。
いつも誰かがいて散らかり放題のリビングや研究室を手早く片付け、ここぞとばかりに真っ白に洗い上げたシーツや、ジトジトした日が続いたために湿っぽくなっている布団を庭に出し終えたハルカは、そのまま庭の芝生の上にごろりと横になった。
昨日までの雨がウソのようにからりと晴れた空。
上空では風が強いのか、ものすごい速さで雲が流れていく。
久しぶりに見る真っ白な雲の端は、初夏の日差しで金色に輝いて見えた。
きれいだな・・・。
目を閉じると、そよそよと風がほっぺたをなで、土や草のみずみずしいにおいを運んできてくれる。
家の中では肌にまとわりつくような湿った生ぬるさは気持ちの悪いものだったけれど、外に出て風や大地に包まれながらだと意外なほど心地よかった。
そのまま瞳を閉じて風に吹かれていたら、遠くの方で名前を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ハルカー、ハルカー。ハルカ!ああ、ここにいたんですね」
むこうの方から、火鳥さんがニコニコしながら自転車をついて歩いてくるのが見えた。
いわゆるママチャリと呼ばれる自転車の前カゴには、なにやら紙袋がぎゅうぎゅうと押し込められている。
ちらりとのぞいているこげ茶色のものは・・・フランスパン?
「どうしたの、火鳥さん?」
よいしょっと、芝生から上半身を起こし見上げた火鳥さんは、やっぱりにこにことお日様のような笑顔で、でも口から飛び出したのは恐ろしいお誘いだった。
「今日はとっても天気がいいので、いっしょにサイクリングに行きましょう」
そう言いながら、ぽんぽんと自転車の後ろの荷台をたたく。
そこには、もうハルカがいっしょに行くのは決定事項ですよと言わんばかりに、ご丁寧にも座布団が敷かれていた。
「か、火鳥さんの自転車・・・ど、どこに行くの?」
彼の自転車の猛スピードときたら、車なんて簡単に追い抜いちゃうくらいなので、ママチャリ座布団付きとは言ってもあなどれないのである。
いや、逆にママチャリだからこそ恐ろしいというか・・・。
火鳥さんは自転車がお気に入りだ。
火鳥さんの星にはこういった乗り物はないらしく、初めての時はよろよろとしていたけれども、すぐに上達して、今では、ハルカやケンタよりも、ずっとうまく乗りこなしている。
あんまりやらないけれど曲乗りだってお茶の子さいさいの腕前なのだ。
「ほら、そこの裏山ですよ。頂上に着く頃、きっとお昼ですから簡単ですけどお弁当も用意しておきました」
やっぱりニコニコ笑いながら、今度はぽんぽんと前カゴの茶色の包みをたたく。
お昼に頂上?
麓の公園までは自転車なら私でも30分もかからないはずだし、
上まで登るにはかなり時間がかかるはず・・・。
お弁当の中身も含めてちょっと引っかる所はあったけれど、久しぶりのこの天気、外で火鳥さんとご飯というのは魅力的だった。
それに、そんなに長距離じゃないからスピード出す必要はないはず。
「いいわよ、行きましょう」
「よーし、じゃあ後ろに乗ってしっかりつかまって下さい。行きますよー!」
ぱんぱん、とスカートにまとわりついた芝を払いながら立ち上がると、火鳥さんはさっそく自転車を方向転換させてまたがり、さあさあ、といったかんじでこっちを振り返り見ている。
「あ、そんなに張り切らなくていいからっ!のんびり、のんびりいきましょう!!」
一抹、いや、かなり大きなの不安を抱きつつ、ハルカは自転車の後ろにそろそろと乗り込んだ。
裏山までの道のりは、それはそれは平和なもので、火鳥さんに道端に咲く花の名前を教えてあげたり、大きな背中にドキドキしたりといった余裕すらあったのに・・・。
今やそのドキドキは、全然違う種類の、歓迎したくない心臓に悪い方のドキドキ変わってしまっていた。
目的地の裏山は、裏山と呼ぶにはまぁまぁの標高があり、麓にはちょっとした公園があって、休みの日には家族連れの一団がお弁当を持って遊びに来ている姿が見られた。
火鳥さんがお弁当を食べましょうと言っていたので、ここに行くつもりなんだろうな思っていたのだけれど、その前をさっくり通り過ぎたのでちょっとだけいやな予感がした。
・・・やっぱり頂上へ行くつもりなんだ。
頂上への道にはあまり広くはないけれど舗装された道と、自然の中を散策できる遊歩道のふたつがあった。
どちらも行き着く先は同じで、簡単なベンチしかないが、ちょっとした展望台になっている。
遊歩道は、途中に階段なんかもあるので問題外、舗装された道路は二人乗りの自転車で登るにはかなり急勾配だけれど、火鳥さんの脚力なら余裕で登れるだろう。
でも。
火鳥さんはそのどちらの道も無視してずんずんと脇道の方へ進んでいく。
「火鳥さん、どこへ行くの?」
「とってもステキな場所があるんですよ」
答えになっていない答えの先に待っていたのは、どう考えてもママチャリではムリー!?な坂道、しかも未舗装のいわゆる林道・けもの道の類だった。
火鳥さんは、そこに何のためらいもなく自転車を乗り入れ、そのままぐんぐんと駆け上がりはじめた。
それでも、最初のうちはパンクしてしまうのでは、などとヒヤヒヤする余裕くらいはあった。
それがやたらに背の高い草の間をかき分け、木々の間を縫ってガレ道をさらに登り始めた頃には、つかまっているので精一杯だった。
「かかかか、火鳥さんっっ!!ちちちちちょっとこここれはムリなんじゃあぁぁぁ!」
「大丈夫ですよ、しっかりつかまっててくださいね!」
「きゃぁぁぁぁ〜!」
上下する自転車から振り落とされないようにしっかりと火鳥さんにしがみついて、どれくらいたったのだろうか。
ふいに振動が収まり、続く急ブレーキでハルカはさらにぎゅうっと火鳥さんの背中に押し付けられた。
閉じたまぶたの裏に、光が差し込んでくる。
「どうです、キレイでしょう?」
そろそろと開けた目の前、火鳥さんの背中越しには海と空が広がっていた。
キラキラ輝く海には雲の影が映り流れていく。
下のほうには遊歩道とその先の展望台も見える。
ここが、ほんとの頂上なんだ。
自転車から降りて、景色に見とれるハルカの隣に並んで、きらきらと輝く海をまぶしそうに見ながら火鳥さんはなんだか幸せそうな笑みを浮かべながら話しはじめた。
「地球は、ほんとに美しい星ですね。今まで、色々な星を見てきましたが、こんなに美しい星はそうそうありませんでした。それに住んでいる人達もみなさん親切で、私はこの星に来て、ハルカやケンタ、博士達に会えてほんとによかったって思ってるんです。」
「そう言ってもらえるとほんとに嬉しいな。ありがとう、火鳥さん」
「お礼を言うのは、こっちの方ですよ」
きっと、火鳥さんは今までにもいろんな星に行って犯罪者達と戦っていたにちがいない。
地球でもそうだったように、はじめは慣れない環境や習慣に戸惑い、なにもかも一から覚えなければならなかったろうし、中には生命が生きていくには厳しい環境の星や、そこに住む人たちが協力的じゃなかったりして、つらい目にだってあっているのかもしれない。
きっと、こんなかんじで一生懸命悪い奴らと戦っていたのだとしても。
「私はねハルカ、この星がそしてここに住む人たちが大好きなんです。それを・・・」
何かを思い出したのか、海を見つめる表情がぐっと険しくなる。
「自分の欲望のためだけに、めちゃくちゃにしようとする奴は、許せねぇ」
「火鳥さん・・・」
「だから・・・だからぜってぇ許せねぇ、ドライアスだけは」
そう言って、ぎゅうっと握り締めた拳を見る火鳥さんはとってもまぶしくて、それは逆光のせいではなく、内側からの輝きに見えた。
おじいちゃんの作ったつくりものの体の中にいる本当の火鳥さんは、きっとこんなかんじの色をしているんじゃないだろうか。
それは普段のほんにゃりやさしい火鳥さんからは絶対に見ることはできないから。
ハルカはそこに座ったまま、いつまでも火鳥さんとその向こう側の流れる雲を眺めていた。
2005/04/17